貧困やDVに比べて“見えにくい”宗教虐待

団作氏は事件で得られた教訓に関して、「銃撃事件以降、子どもに宗教を強制することが“虐待”であるとの認識が広がったことはよかった」としたが、そもそもこの宗教虐待には、被害者である子どもにスポットが当たりづらいという根本的な問題があると語る。

宗教虐待は貧困やDVと異なり、行政などの目が届きにくく、支援や救済の網から外れてしまうというのだ。

「例えば、奨学金や福祉を受ける要件は、貧困家庭と児童養護施設等で生活した人に限られている場合がほとんどです。宗教2世の家庭というのは、数字だけ見れば貧困ではない場合もある。山上被告の家庭も、ほぼすべてを献金してしまうだけで、収入自体は低くありませんでした。

しかし、宗教2世を含め、貧困や虐待家庭以外にもさまざまな環境で生まれ育ち、困難を抱えている子どもたちがいます。なかなか社会に気付いてもらえなかったから、児童養護施設には行ってない。そういう子たちって実はいっぱいいるんですが、彼らをどう支援していくのかという議論は深まりませんでした」(団作氏)

写真/shutterstock
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確かに、ある程度可視化されやすい貧困や身体的虐待に対し、内面の問題でもある宗教虐待は目に見えにくい部分があるだろう。どのように把握し、どのように支援の手を差し伸べるかは、難しくも対策が求められる部分だ。

取材中、団作氏はこの点について、「貧困と社会的養護、この2つだけでは把握できない困窮状態の子ども・若者をどう支援していくかっていう話がもっと進んでほしかったんですけど、残念ながらまったく進んでいない」「我が国の支援が全然できていないという点について、社会でもっと議論してほしい」など、重ねて指摘していた。