子ども時代の“体験”の有無が大人になるとどう影響しているのか…日本で放置される体験格差、この社会にどう抗うか
家庭の事情により、部活動やクラブ活動に参加できなかった子どもたちの「体験格差」は、その後の人生にどのように影響を及ぼすのだろうか。経済的困難を抱える子どもたちのための団体・CFC(チャンス・フォー・チルドレン)が支援してきた松本さん(仮名)へのインタビューから見えてくる現実とは。
『体験格差』(講談社現代新書)より、一部抜粋・再構成してお届けする。
体験格差 #3
ただし、保護者がそのお金を払えるのならば
親世代から子世代へと「体験」の格差が連鎖している可能性については、全国調査の分析においても、インタビューの中でもたびたび触れてきた。
最後に、「体験」の場が家庭や学校での関係性だけではない、色々な他者とのつながりを育む機会であるという点にも注目したい。
近しい年齢の子どもたち、少し年上のお姉さんやお兄さん、あるいは大人のコーチや先生たち。こうした他者とのつながりの豊かさに、例えば習い事の月謝が払えるか否かが影響を与えてしまっている。インタビューの中でも、親たち、子どもたちの社会的な孤立がたびたび見え隠れしていた。
かつて子ども時代に支援活動を通じて出会い、今は社会人として働いているある青年は、サッカーのコーチに「サッカーのスキルだけじゃなくて、人として成長させてもらいました」と語っていた。彼は幼少期に父親を亡くし、母子家庭で育っていたが、母親が色々な我慢をしながら、サッカーにだけは小学生の頃からずっと通わせてくれていた。逆に言えば、そうさせてあげられない親たちも、たくさんいるはずだ。
あるスポーツの指導者から、一人の不登校状態の子どもが、地域のスポーツチームにだけは必ず参加しているという話を聞いたこともある。「体験」の場は、社会とつながることに困難を抱える子どもにとっての大切な居場所となる可能性があるし、実際になっている。ただし、保護者がそのお金を払えるのならば。これが現実だ。
社会の中での様々な他者とのつながりは「社会関係資本」とも言われ、子どもの教育や健康、ウェルビーイングに関わるとされる。こうした格差の構造を繰り返さないためにも、低所得家庭の子どもたちがアクセスしづらい「体験」の機会を広く提供することが重要ではないか。
体験格差に抗う社会をどうつくっていくかが重要だ。
写真/shutterstock
『体験格差』 (講談社現代新書)
今井 悠介 (著)
2024/4/18
990円(税込)
208ページ
ISBN: 978-4065353639
習い事や家族旅行は贅沢? 子どもたちから何が奪われているのか? この社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態とは? 日本初の全国調査が明かす「体験ゼロ」の衝撃!
【本書のおもな内容】
●低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」
●小4までは「学習」より「体験」
●体験は贅沢品か? 必需品か?
●「サッカーがしたい」「うちは無理だよね」
●なぜ体験をあきらめなければいけないのか
●人気の水泳と音楽で生じる格差
●近所のお祭りにすら格差がある
●障害児や外国ルーツを持つ家庭が直面する壁
●子どもは親の苦しみを想像する
●体験は想像力と選択肢の幅を広げる
「昨年の夏、あるシングルマザーの方から、こんなお話を聞いた。息子が突然正座になって、泣きながら「サッカーがしたいです」と言ったんです。それは、まだ小学生の一人息子が、幼いなりに自分の家庭の状況を理解し、ようやく口にできた願いだった。たった一人で悩んだ末、正座をして、涙を流しながら。私が本書で考えたい「体験格差」というテーマが、この場面に凝縮しているように思える。
(中略)
私たちが暮らす日本社会には、様々なスポーツや文化的な活動、休日の旅行や楽しいアクティビティなど、子どもの成長に大きな影響を与え得る多種多様な「体験」を、「したいと思えば自由にできる(させてもらえる)子どもたち」と、「したいと思ってもできない(させてもらえない)子どもたち」がいる。そこには明らかに大きな「格差」がある。
その格差は、直接的には「生まれ」に、特に親の経済的な状況に関係している。年齢を重ねるにつれ、大人に近づくにつれ、低所得家庭の子どもたちは、してみたいと思ったこと、やってみたいと思ったことを、そのまままっすぐには言えなくなっていく。
私たちは、数多くの子どもたちが直面してきたこうした「体験」の格差について、どれほど真剣に考えてきただろうか。「サッカーがしたいです」と声をしぼり出す子どもたちの姿を、どれくらい想像し、理解し、対策を考え、実行してきただろうか。」――「はじめに」より