ギャルならではの発想で16時間乗り越えた

――諦めそうになった時間帯は?

何度もありましたよ。私はもともと冷え性なので9月の石垣島とはいえ海に入った時点でもう寒くて。夜になってみんなは「怖い」って言ってたけど、私は寒くてそれどころじゃなくて震えてました。

4人のうちの30歳の女性が責任を感じて、『もう、私だけ流される』って言ったから『こんな目の前で人を見殺しにできない』って、その人を真ん中にして腕を組むフォーメーションに変えたりして。

――想像を絶しますね……。

とにかくもう辛すぎました。夜は真っ暗で見えるのは海岸にある3つの明かりだけ。それを目印に方角を確認して、明かりが小さくなったら流されてるってことだから、がんばって泳いで近づいて……。

ずっと全身痛いし、寒いし、眠いし、海水で口の中がしょっぱくて、尿は出るのに水分補給ができないっていう状況で、死にかけて走馬灯も見ました。2度と味わいたくない地獄の時間でした。

救助後に入院中の串さん
救助後に入院中の串さん

――そんな4人の心を支えたものは?

友達が「絶対助かろう」ってずっと励ましてくれましたし、16時間めっちゃ会話しました。夢を語り合ったり、恋バナしたり……歌も歌いました。特に「助かったら何したい?」という話はけっこうしました。友達は「とりあえずビール飲みたい!」と言ってて、私は海の中でずっと立ち泳ぎしているのがめちゃくちゃしんどかったので、「とりあえず陸に立ちたい」って言ってました。

――そして、翌朝、海岸を歩いていた人が沖で漂流する4人を発見。午前8時20分ごろに全員無事救助されました。

それまでにも何度か浜に人がいるのが見えたんですけど、200メートルくらい沖合いにいたので波の音で声がかき消されて、その時間まで誰にも気づいてもらえなかったんです。流されてきた蛍光灯を振って『助けて!』って叫んだら、やっと浜にいた人に気づいてもらえました。
 

――発泡スチロールといい、キレイな海に浮くゴミに助けられたんですね。

そうですね。助かるとわかってみんなで号泣しました。新聞には「怪我はなく」と書かれてましたが、みんな傷だらけでしたよ。ひとりはウミヘビとかくらげに刺されて、顔と喉の境目がわからなくなるくらいパンパンに腫れていたし、私も全身傷だらけで歩けない状態だったので、1週間ほど入院して車いす生活でした。

――後遺症は残らず?

漂流で膝が壊れて曲がらなくなり、階段の上り下りがキツくなりました。今でも寒くなったら膝が動かないです。それと、もともと泳ぎには自信がありましたが、それ以来、波の揺れがトラウマになって、今でも泳げません。同級生の2人はその後にスキューバのライセンスとか取ったみたいですけどね……(苦笑)。