“推す”ことのこれから

「Rの痛ファン告白記」として吉田さんのnoteが拡散された結果、吉田さんの元にはさまざまな声が届いた。

病気だ、一度精神科に行ったほうがいいと、一方的な精神疾患の診断名を疑われたり、ストーカー、ホラーエッセイと揶揄されたりした。

その結果、Rの名前がXでトレンド入り。すると、Bの相方がアンサーソングのような小説をnoteで投稿し、その投稿に対しても多くの批判が集まった。

「病名をあげて決めつけられるのはよくわからなかったけれど、他にも推しにブロックされたとか、嫌われたって経験をしている人からDMが来て。3年かかってやっと推しにブロックを解除された話とか、似たような経験をした人が推しと和解した話を聞いて、励みになりました」

中にはライブに行くな、お前は推し活に向いていない、もうやめろといった声もあった。しかし、今の吉田さんにとって推し活とはまさに「背骨」であり、生きるために必要不可欠なものになっていた。

想定外の反響を受け驚いたという吉田さん 写真/Shutterstock.
想定外の反響を受け驚いたという吉田さん 写真/Shutterstock.

「Bさんのことも忘れられないし、またライブを観に行きたいです。けれど、今は他の人を推すことで忘れようと他の現場に足を運んでいます。

でも僕、そもそもライブっていう場が好きなんです。僕の好きな人が好きなことをしてくれるから集中できて、他のノイズがない。近くに推しがいるのを見て、笑って、身体を揺らしていればいい空間が好きで。

コロナ禍ではオンラインでの無観客ライブが一般的だったけど、スマホで見ているとLINEの通知とかに邪魔される。『やっぱりライブは会場じゃないと!』って思いました。

ライブには今後も絶対に行きたいです。行かなくなったら、自分はなんのために生きているかわかりません」

今回のnoteの反響を受けて、吉田さんは、推し方自体は人によって自由。ただし、その意見を発信する場を間違えるとときに炎上すること。そして、こうした推しとの距離感の問題やファン同士の対立は、他の推し活界隈でも起きていることで、人には人の推し方、考え方があるということを知った。

炎上のイメージ 写真/AC
炎上のイメージ 写真/AC

最後に、吉田さんにとって推し活とは何かをあらためて聞いてみた。 

「現場に足を運んで、ファンと語り合う。僕にとって、そこまで含めてが推し活です。だからSNSでの発信は今後も続けたいし、そこで感想をシェアして誰かに共感してもらいたい。気が合う人がいれば友達になるかもしれない。R、そしてBのファンを続けるかはわかりませんが、推し活自体は続けていきたいです」

推しについて語るとき、我々は推しを愛するあまり、ついついその葛藤や感動を表すのに語彙力を低下させてしまいがちである。

「エモい」「苦しい」「大好き」といった言葉の裏には、推しとの距離感や認知されることでの葛藤、他のファンとの推し方の違いや感想の抱き方の違いで、多少なりとも苦しんだ経験があるのではないだろうか。

そうした推しについての感覚的な体験を鋭利な文章で書き記したからこそ、吉田さんのnoteはこれほどまでに反響を呼んだのではないだろうか。

誰もが自分の意見を発信でき、あわよくば推しに届く現代。だからこそ、今一度推しとの距離、推し活との距離について、我々は考えるべきなのかもしれない。


取材・文/佐々木チワワ