本書によれば、ハリウッド映画やドラマの大好物、正義をもたらす舞台装置として描かれる陪審裁判は〈幻想〉に過ぎない。

〈今日のアメリカの刑事司法制度は、建国の父たちが考えていたこと、メディアが描く姿、あるいは平均的なアメリカ人が信じているものとの関連をほとんどとどめていない。建国の父たちにとって、この制度における重要な要素は陪審裁判であった。陪審裁判は、真実を追求するメカニズムとして、また公正さを実現する手段としてだけでなく、専制政治に対する盾としても機能していた(…しかし…)こうした保障に内在するドラマは、映画やテレビ番組では定期的に、裁判官や陪審員の面前の、公開の場で繰り広げられる戦いとして描かれる。しかし、これはすべて幻想だ。実際のところ、アメリカの刑事司法制度は、ほぼ全面的に、密室で交渉され、司法の監督もない司法取引のシステムである〉【2】

日本における司法取引は組織犯罪や経済犯罪、薬物や銃器など特定の犯罪に限られるが、アメリカではすべての犯罪が取引の対象となる。その結果、アメリカでは過去20年間にわたって起訴された連邦刑事事件のうち90%近くが司法取引によって〈解決〉されてしまっているという【3】。

世界の刑務所人口の25パーセントを収監――200万人以上もの人間を塀の中に押し込める、アメリカの司法制度が抱える闇とは【〈ノンフィクション新刊〉よろず帳】_2

司法取引の闇

では、重大な刑事事件のほとんどを〈解決〉してしまう司法取引の何が問題なのか。レイコフが強調するのは〈起訴の決定という名の下、量刑権を事実上行使する〉のが〈裁判官ではなく検察官〉になってしまっている点である【4】。

1960年代以降に犯罪率が急速に上昇し、警察官の数も検察官の数も、そして裁判官の数も不足したアメリカでは、事件を最終的に〈解決〉する前に、別件に対する処罰で「解決したことにしてしまう」手法が広がりを見せた。簡単にいえば、拷問で自白を取るのと同じだ。

〈例えば、連邦薬物事件で、司法取引を行う場合、検察官は、必要的な最短収容刑期がなく、二年未満のガイドラインの範囲であるヘロイン数オンスの個人売買についてのみ被告人は有罪を認めればよいと弁護人と合意することができる。しかし、もし被告人が有罪を認めなければ、彼の密売量はごく一部であったにもかかわらず、最低一〇年の最短収容刑期と二〇年以上のガイドラインの範囲に該当し得る何キロものヘロインの薬物密売の共謀で起訴されることになる〉【5】

こうして、アメリカでは約220万人以上もの人間が刑務所および拘置所に収容されるに至った。世界のすべての国の刑務所人口の25パーセント近くを、アメリカのそれが占めているのである【6】。