一杯410円のラーメンに支えられた日々

――卓球さんが初めて福寿に行かれたのが18歳の頃だったとツイートされているのを拝見したのですが、きっかけはなんだったんでしょうか。

18歳で最初に上京した時に住んでいたのが笹塚だったんです。バイトをしていて、お金がないんで、とにかく安く食べられるところっていう。「外食」って金銭的に福寿ぐらいしかできなかったんで。

その当時から店構えはもう結構レトロっていう感じだったんですけど。バイト帰りに通ったり、バンドの練習帰りに寄ったりとかっていうので通い始めて。18歳の時だから、1985年ぐらいですね。まだその頃、夏は冷やしラーメンもやってたんですよ。

――えっ! 冷やしもあったんですか?

そうなんですよ。あと、パートのおばちゃんがいたりとか。

「外食は福寿しかなかった」電気グルーヴ・石野卓球が惜しむ老舗ラーメン店の閉店_c
「オレの中で『ラーメン=福寿』だったから」

――小林さんお一人じゃない頃もあったんですね。それは石野さんが「人生」(電気グルーヴの前身となるバンド)としてデビューされる前ということですよね。

そう。ラーメンが500円しなかったんじゃないかな。中途半端な値段だったんですよ。なんか410円とかね。

――通い初めた頃のことは憶えていらっしゃいますか?

憶えてますよ。本当にしょっちゅう行ってました。というか、逆にあそこ以外には金銭的に入る余裕がなかったので(笑)。あそこ21時までやってたんですよね。15時から21時までやってて、だからバイト終わりにあそこで夕飯を食って帰るっていう感じだったんです。

最初の頃は小林さんと会話をすることもなくて。ずっと通ってたから小林さんも俺のことは認識してくれてたらしいんだけど、初めて話したのは電気グルーヴでデビューした後なんですよ。その時はまだ笹塚に住んでたんですけど、ある時「お兄さん、この前テレビ出てたよね?」みたいな感じで話しかけられて。「昔から楽器持ってよく来てたよねー」なんて言って。

――最初は小林さんの方からだったんですね。

そうそう。デビューしたのが22、23歳とかだから、通い始めて4年ぐらい経ってからっていう感じですね。

――初めて行った時、私は小林さんってちょっと怖い人というか頑固な人なのかなと思ったんですけど。

俺はそういう印象はあんまりなかったんですけどね。でもまあ、特に話しかけることもなかっていうか。18歳だと「最近、暑いねぇ!」とかでもないっていうかね(笑)。