「FKD商法」の誕生

――『ももいろパンチ』はデイリー11位で、セカンドの『未来へススメ!』でデイリー6位になりました。それだけ地道な予約商法が効果的だったわけですよね。

そうです。CD発売前の予約枚数が、リリース日の売上としてカウントされるっていうシステムだけが斬新だったんですよ。それで順位が跳ね上がる。「え、何これ?」ってなるじゃないですか。それをお客さんが楽しんでたんですよ。

――それまでそのシステムを利用した人がいなかった。

いなかったんです。あえて言うのであれば、そのシステムでオリコン1位取れんじゃんっていうのがわかって、それを実行した結果だったんですね。

――それはFKDさんのプランだったんですか?

たまたまですね。たまたまヤマダ電機を周るときにCDがもうないぞってことになって、「じゃあ予約にすりゃいいじゃん」みたいな話で。オリコンを狙ってたわけでもなんでもなく、結果的にそうなっただけなんですよ。

――単純に現物がなかった(笑)。

そうです! 「売るもんないしどうする?」ってことで。

――それなら予約券を売ればいいじゃん、と。

そうです。それがたまたま斬新で、たまたま1枚目でオリコンってところにポーンと入って。みんな同じCDを何枚も予約してましたからね。 

「ももクロは青春だった」10年ぶりのメディア登場!知られざるももクロ仕掛け人”FKD”こと福田幹大が語る、黎明期のももいろクローバー聞き手:吉田豪_4

――ヲタもそんなのやったことないからおもしろがって。「CDが段ボール一箱になっちゃった」みたいなことも含めて楽しんでましたね。

「なんじゃこりゃ?」みたいな文化でしたね。あと、10数年前のオリコンってやっぱり権威ありましたし、オリコン1位を取ったってなると大騒ぎでした。それは新鮮だったんだろうなと思いますね。

――当時のももクロの知名度ではありえないですからね、デビューシングルの時点でデイリー11位とか。

ありえないです、ホントに。ただの地下アイドルがこんなにって。いまはその手法は使い古されちゃってますけど、あのときはオリコン命でお客さんも僕もやってましたね。 

ももクロのために会社を辞めた

――だんだんそのやり方を特化させていこうってなっていくわけですかね。

そうですね。結果そのあと僕はももクロと一緒にメジャーレコード会社に行くことになって。

――まず会社を辞めちゃうんですよね。

そうです。もともと平日ふつうに働いてたんですけど、週末のももクロが楽しくて。っていうか、いまだから言えますけど、会社にバレたんですよ。

――会社員でそこまで外部の仕事をやってたら、まあアウトですよね。

何も考えてなかったです、人生を。バカじゃないかと思うんですけど(笑)。

――とりあえず、いまは最高に楽しいし(笑)。

そうですね、だから20代の無知の為せる業というか。 

第2回に続く 

取材・文:吉田豪
写真:小山田恵太