全4回の2回目/第1回第3回第4回を読む 

ももクロ以前の音楽キャリア 

――(吉田豪)というか当時めちゃくちゃ若かったんですよね。

FKD 25歳前後ですね。いま思うとホントなんで会社を辞めたんだろって(笑)。

――『未来へススメ!』ぐらいのときには、もう会社辞めてて。

辞めてましたね。あのときはスターダストからの小遣いと、あと平日たまにバイトしながら生きてましたね。

――そして、平日の本職がなくなったから楽曲にも関わるようになって。

そうですね。もともとずっとアマチュアバンドやってたんですよ。 

名曲『行くぜっ!怪盗少女』『走れ!』『全力少女』『オレンジノート』はどうやって生まれたのか?FKDが語るももいろクローバー聞き手:吉田豪_1

――ジャズでしたっけ?

そうです。ビッグバンドで鍵盤弾いてて。そのあと地下アイドルのバックで鍵盤弾いたり。

――そんな経験もあるんですか!

あるんですよ。桜川ひめこのうしろでキーボード弾いたり。

――えぇーっ!? 『アキバに行くのん!』の? ああ、秋葉原つながりだ。

そうです。そういうのをやったり。で、遊びでバンドやってたんですけど、そのときのボーカルがでんぱ組.incのえいたそ(成瀬瑛美)だったんですよ。

――そうだったんですか!

これ言っていいのかな? だから当時からえいたそのことを知ってて、何年か経ってTIF(TOKYO IDOL FESTIVAL)で会うわけですよね。基本そのときは「FKD」とか「福田さん」って呼ばれてたんですけど、バンドのメンバーからは「幹大さん」って呼ばれてたんですよ。

えいたそにTIFの裏で会ったとき、「あ、幹大さん!」って呼ばれて、それをぱすぽ☆のメンバーに見られて。「おまえどこで女を引っかけてんだよ!」みたいに言われて(笑)。「違うんです、昔からの知り合いなんです!」って。 

音楽ディレクターの道へ

――つまり、音楽知識はちゃんとある人なんですね。

でも、見よう見まねでしたね。当時のももクロってホントお金なかったんですよ。MVも撮れないから、川上さんがハンディカメラ持ってきて公園で撮影したり。そんなことばっかりやってて、当然ディレクターなんていないんですよ。会社のスタジオはあるけどディレクターがいないから、「おまえが録れ!」って言われて。 

名曲『行くぜっ!怪盗少女』『走れ!』『全力少女』『オレンジノート』はどうやって生まれたのか?FKDが語るももいろクローバー聞き手:吉田豪_2
2015年には、ロサンゼルス・Microsoft Theaterで開催されたAnime Expoにも出演したももいろクローバーZ。 Tommaso Boddi/WireImage/Getty Images

――最初に担当したレコーディングがmihimaru GTのカヴァー『ツヨクツヨク』で。

いまは本家より有名になっちゃった『ツヨクツヨク』ですけど、あのときは「これ、いい曲だからやろうぜ」って川上さんか藤下(リョウジ、現在スターダストプロモーション代表取締役社長)さんのノリで。当時、Mihimaru GTさんはスターダストと業務提携してたんですよね。

――そういうつながりだったんですね。