電車に接触し、両脚切断の大けが

そして2023年。私は中沢啓治さんの漫画『はだしのゲン』の講談を37年に渡って語り続けてきたのですが、この原作漫画が広島の平和教育の教材から外されるというニュースを耳にし、私も声をあげました。

8月13日には弟子の神田伊織との「戦争新作講談」親子会を催し、私は孤児院で育った西村滋さんの『お菓子放浪記』のネタおろしをしました。終戦の8月に平和をテーマとした会を催すことができ、ホッとして眠りについたその翌日のことでした。

午前11時20分、携帯電話が鳴りました。局番は千葉です。胸さわぎを抑えて出てみると船橋警察署からでした。ミーが電車と接触、大けがを負い、船橋の救急病院に搬送されたとのこと。

電車と接触したら……と考えたら気が遠くなり、「命は? 生きていますか?」と聞くのが精一杯でした。それから10分ぐらいは腰が抜けたようになり動けませんでしたが、とにかく病院へ、と電車を乗り継ぎ船橋へ。

「統合失調症の娘を持つ母」として。講談師・神田香織さんがこれまで封印してきた“自分語り”を決意した理由_2
写真はイメージです

ミーの夫もほどなく駆け付け、それから4時間、手術が終わるのを待ちました。ICUのベッドに横たわるミー。顔はきれいで手にかすり傷がある程度、しかし、右足は太ももの半分から、左足はひざ下から、三年前に続く二度目の大事故でミーは両脚切断という重傷を負ってしまったのです。

リハビリが終わり、ようやく歩けるようになったのに……。張り裂けそうな気持ちとはこのことでした。原因もこのときは何もわかりませんでした。今後どうなるのだろう、ミーの夫と二人、ただ呆然とするばかりでした。

それでも仕事は待ってくれません。8月27日には好評を博した親子会の追加講演も入っていました。芸人が板の上に乗るときは、プロとして何があろうとお客さまに自分の感情を見せてはなりません。

病院に通いながら稽古を続けました。夢中になって稽古に打ち込んでいると、このときだけは他に何も考えませんでした。ミーの列車事故はプライベートなことなので、自分の胸にだけしまっておこうと強く心に決めました。

3年前の転落の際は廊下から娘の顔を見せてくれた看護師さんの親切がうれしくて、ある季刊誌に「不幸中の幸い」というエッセーを書いたのですが、今回はそれ以上に大きなけがでした。

もう人様に語ってもご心配をかけるだけです。これ以上、自分のことでお気遣いいただくのは申し訳ないという気持ちでした。