「あんな内容でも100人のうち10人近くが見てくれたのか」

『ニュースステーション』がスタートする前に、僕はテレビ朝日の幹部から一定の視聴率を取るよう求められていた。当時の午後10時台の平均視聴率が14%前後。

「平均視聴率で15%はほしいですね」

「それは無理です」

「じゃあ、どれくらいなら?」

「うーん、12%くらいでしょうか」

視聴率を取るためにはある程度娯楽的な要素が必要だが、本来、ニュースと娯楽は相いれない。視聴者におもねるかたちで娯楽性を追えば、ニュース番組本来の使命を失う恐れもある。僕としては二ケタに届けば十分だと思っていた。

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ニュースステーション記者会見  久米宏(中)、小宮悦子(右)両キャスターと高成田享氏(左)=1996年3月18日 写真/共同通信

ところが、プロローグで記したように「鮭報道」に象徴される初日は失敗に次ぐ失敗。視聴率は9.1%と二ケタにも届かなかった。

この数字の意味は、今とは違う。当時、プライムタイムの番組なら最低でも12~13%は取らなければならない。しかし、僕としては「あんな内容でも100人のうち10人近くが見てくれたのか」と逆に驚いた。

番組は月曜日に始まったが、その週も翌週も何をどんなふうに放送したか、まったく覚えていない。出演者もスタッフも懸命に動いてはいるが、現場でそれぞれ何をすべきか把握しておらず、空回りするばかり。すべて見切り発車の中での混乱だった。その後の視聴率も一ケタ台に終始し、5%を切る日もあるほどの低迷ぶりだった。

そもそも番組スタッフの間で意思疎通がうまく図られていなかった。終了後は反省会を連日、深夜2時ごろまで続けていたが、僕はしばらくその存在すら知らされておらず、一人さっさと帰宅していた。

「すみません、なぜ久米さんだけ反省会に出ないんだと、みんな言っているんですけど」

1週間ほどしてスタッフに告げられ、初めて知った。よく言えば気を遣ったのだろうし、悪く言えばよそ者扱いだった。

反省会では小田さんが大声を張り上げ、スタッフたちを叱り飛ばした。「カメラワークがなっていない」「カメラの切り替えがひどい」「原稿は決まり文句ばかりで新しさがない」

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テレビ収録のイメージ 写真/Shutterstock.
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報道局とOTO組の反目も相変わらずくすぶっていた。報道局にしてみれば、「ニュースのことを何も知らずに勝手なことばかり言うな」。OTO組にすれば「なぜ原稿をもっとわかりやすく書けないのか」。

僕も発破をかけた。

「ニュース番組にも演出はいる。取材もカメラも、ほかと同じ視線ではダメだ。たとえば事件現場にカメラが駆けつけたら、ほかと同じ現場を撮っても意味がない。みんながカメラを向けている反対側を撮ったらどうか」

繰り返し言ったのは「裏番組をちゃんと見たことがあるか」「街に出て歩いているか」。スタッフたちは自分が担当する特集にどっぷり浸かり、それ以外のことが考えられなくなっていた。世間でいま何がはやっているか、裏番組で何を放送しているのかすら知らない。それでは視聴者を惹きつける番組をつくることができるはずがない。

スタッフたちは連日連夜、激しい討論(ときに殴り合いのケンカ)を続け、明るくなるまで酒場で憂さを晴らしながら活路を求めた。僕は小田さんと毎週金曜、番組のあり方、問題点について、やはり未明まで話し込んだ。

文/久米宏

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『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』
久米 宏
「中学生にもわかるニュース」をコンセプトにするも初回は大コケ…それでも国民的番組になった『ニュースステーション』で久米宏がニュースの時代の到来を確信した瞬間_7
2023年10月6日発売
990円(税込)
340ページ
ISBN:9784022620842
久米宏、初の書き下ろし自叙伝。TBS入社から50周年を経てメディアに生きた日々を振り返る。入社の顛末から病気に苦しんだ新人時代。永六輔さんに「拾われた」ラジオ時代、『ぴったしカン・カン』『ザ・ベストテン』そして『ニュースステーション』の18年半、その後『久米宏 ラジオなんですけど』の現在まで。久米宏という不世出のスターの道のりはメディア史にそのまま重なる。メディアの新しいありかたを開拓してきた一人の人間の成長物語としてめっぽうおもしろい、さらにラジオからテレビの貴重なメディア史の記録。
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