「揉んではりますか」と親の性生活に口出し

2001年12月27日。宅間守の初公判が大阪地裁で開かれた。

34席の一般傍聴券を求め、1320人が並んだ。倍率が高く、わたしは当然外れてしまった。気の毒に思ったのか、テレビ局のレポーターが一枚回してくれたおかげで、午後からの公判を傍聴できた。

13時34分。父親のAさんにそっくりな守が、緊張感のないボーッとした表情で入廷した。被害者家族の調書が読み上げられても、指で頭を掻き、体を揺すってどこ吹く風という態度だった。

子供を亡くした親御さんのすすり泣く声が途絶えることはなかった。記者たちも目を真っ赤にしてメモを取っていた。

夕方、伊丹のAさん宅を訪ねるとすでに酔っていた。平常心を保てなかったのだろう。

「もう二度と週刊誌の取材は受けない。でも、あんただけは別や」と言ってくれたが、初公判の心境を語ることはなかった。Aさん担当のわたしは、その後も足しげく伊丹に通った。そして深夜まで語り合い、こたつに足を突っ込んで一緒に寝た。

宅間守・元死刑囚が自筆した中学生時代の学習ノート
宅間守・元死刑囚が自筆した中学生時代の学習ノート

鹿児島にルーツを持つAさんは、高等小学校を卒業後、家計を助けるため旋盤工として働きに出た。17歳で父親を亡くし、幼い弟妹を養うため製作会社に転職。紡織機の指導者として全国を回ったという。

「学校に行きたかったが、仕方がなかったんや。職場で知り合ったのが女房よ。遊ぶ金もなかったしな。ワシは童貞で結婚したんや」

信じられないだろう、と笑った。念願だったふたりの息子も授かり、順風満帆な人生だったが、次第に守の振る舞いが気になった。

「守が小学生のときに子猫を3匹拾ってきて浴槽に入れたんだ。溺れて死んだ子猫を見つけたワシは守を問い詰めると、『忘れてもうた』と平然と言いよった」

守には7歳上の兄がいたが、1999年3月に頸動脈を出刃包丁で切って自殺している。享年42歳。Aさんは、その原因も守にあると語った。

「兄ちゃんがアウディを買ったら、『サラリーマンが外車に乗るな』と車をボコボコにしたんや。強姦事件で刑務所に入ったこともあったし、ワシはあいつを殺して心中しようとも考えた。しかし、残された家族のことを思うとそれもできなかった。あいつには親としての情がわかないんだ」

幼い宅間守・元死刑囚を抱く実父Aさん
幼い宅間守・元死刑囚を抱く実父Aさん
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そして、親子関係が終焉した決定的なエピソードを語ってくれた。

「『お父さん。なんであんなアホみたいなおなごと一緒になったんや』。

子供の分際で、親に言う言葉じゃないだろう。女房が家出をしたときに、守がワシに電話をかけてきたんや。『お父さん、ひとりでどないしてまんねん』と聞きよるんで、『普通に生活している。なにも不自由してないぜ』と。よく聞いてみると、ワシの夜の話や。『揉んではりますか』と言いよった。

このときは、はらわたが煮え繰り返ったわ。腹のあたりがカーッと熱くなった。怒りを通りこして怒鳴ることもできなかった。子供が親の性生活にくちばしをいれるなんて、夢にも思わなかったからな。ワシをおちょくりおったわけや。守はそういう人間なんや」

(#2へ続く)

取材・文/小林俊之

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『前略、殺人者たち 週刊誌事件記者の取材ノート』(小林俊之、ミリオン出版)
小林俊之 
2015/11/9
1,650円
191ページ
ISBN:978-4813022640
殺人現場を東へ西へ
事件一筋30余年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。
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