「いけず」は争いを避けるための処世術

そもそも、なぜ京都には「いけず」のイメージが根付いているのだろうか。

「世間から『いけず』だと認識されているような言い回しは、洛中の老舗料亭などを中心に使われてきました。周辺には創業200年、300年なんていう店がたくさんあり、そういった店同士が争いを避け、長く店を切り盛りしていくための処世術として生まれたと考えられます」

「金持ちケンカせず」ならぬ「老舗人ケンカせず」なのだろうか
「金持ちケンカせず」ならぬ「老舗人ケンカせず」なのだろうか

古都京都の「いけず」は言葉だけにとどまらない。歴史的建造物の内部からも、言いづらいことを遠まわしに伝える文化が見て取れると井上氏は教えてくれた。

「京都・山科の毘沙門堂(創建789年)というお寺にある『とりあわずの間』をご存知でしょうか。その部屋のふすまには、梅と雉が描かれています。梅が咲く季節に合わない鳥が描かれているので『鳥、合わない』、要するに『取り合わない』。今日はあなたと『取り合いませんよ』という意味の部屋なのです。

ご住職に会いに行っても、ここに通されたら渋々帰らなくてはいけない。一方で、京の文化を理解していない人は、この部屋でずっと無意味な時間を過ごさなければならないわけです。

京都は日本の首都としての歴史が長かったので、入り組んだ言い回しや表現がたくさん生まれてきました。

そして、首都ではなくなった京都の言葉を、他の地方の人は学習しなくなります。

結果として京都の中で古くから育まれてきた文化が理解されづらくなり、それらが他県から『いけず』だと認識されてしまうようになったのではないでしょうか」

「京都五ケ室門跡」のひとつに数えられる「毘沙門堂」。春は桜、秋は紅葉で有名なる観光名所
「京都五ケ室門跡」のひとつに数えられる「毘沙門堂」。春は桜、秋は紅葉で有名なる観光名所

加えて、本音と建て前を使い分ける慣習は、決して京都に限ったことではないと井上氏は指摘する。

「皆さんもビジネスの場では、思ってもいない褒め殺し的な文句を言ったり、丁寧すぎるお願いの文書を送ったりするでしょう? それらは果たして“言いづらいことを遠まわしに伝える”京都の「いけず」とどこに違いがあるのでしょうか。

自身の日頃の行いから目を背け、罪悪感を京都だけになすりつけて安心しているようなところがあるようにも思えますね」