ところで、“人類最古の道具”は何かと考えたことがあるだろうか。
そこらで拾ってきた無加工の石ころや木の棒を手にしたのが始まりといえば始まりなのだろうけど、それらは省き、はっきりとした目的を持って加工されたものと定義するなら、人類最初の道具は、打ち砕いて鋭利な部分を作った石、約330万年前の猿人が作った打製石器であるということになっている。
もちろん、これから先に新たな発見がある可能性は残されているが、現在確認できている人類最古の道具は、石でできた“刃物”なのだ。

こうした鋭利な刃物を使えるようになったからこそ、人類はここまで繁栄できたのだという説にも一定の説得力がある。
分厚い皮を持つ大型動物を、刃物によって容易に解体できるようになり、豊富なタンパク質を摂取できるようになった人類は脳を飛躍的に発達させ、何やかんやあって現在に至る、というわけである。

人類の進化と繁栄に貢献した道具だというのに……

だが、ここではたと、おかしなことに気づいてしまった。
人類が初めて手にし、その後の進化と繁栄の礎になった最重要ツールである刃物類を、現代の日本で持ち歩いていると咎められるということだ。

もちろん、キャンプやバーベキュー、それに僕のように竹刀の手入れ用といったはっきりとした使用目的があったり、買った店から持ち帰る途中であるといった正当な理由がある場合は問題ないのだが、「いつか何かに使うと思って」とか「護身用に」という理由で持ち歩いていると、下手すればその場で現行犯逮捕されてしまう。

先述した浅沼稲次郎暗殺事件に伴う“刃物を持たない運動”で大打撃を受けた日本のナイフ業界は、1990年代末〜2000年代初頭にかけて、実はさらなる追い討ちをかけられることになる。
この頃、日本ではナイフを使った少年による殺傷事件が多発していた。一説によると、1997年に放送されたドラマで主人公がバタフライナイフを使うシーンがあり、少年たちの間で流行したのだという。
当時、問題視されていたストリートギャングも、バタフライナイフを持っている者が多かった。

そうした状況を受け、2000年代に銃刀法の細則や解釈が厳しくなり、刃体6cm以上の剥き出しあるいは飛び出し式ナイフ、刃体8cm以上の折り畳み式ナイフを、主たる目的なく持ち歩くと、それだけで検挙されてしまうようになった。

僕が持っている「肥後守」(及び王様)の刃体は、最長のもので7.5cmだし、刃の幅や厚み、ロック機構の有無にも触れた細則もクリアしているため、実は銃刀法の規制対象ではないようなのだが、ナイフをめぐる法律にはもうひとつ、軽犯罪法というのがある。
こちらは刃体の長さに関係なく、「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者」を対象としている。
つまり、「肥後守」でもアウトということになる。

人間50年以上も生きていると、自分がカッとなって衝動的に相手をブスッとやるような人間であるか否かはよく知っているつもりだ。
僕などは絶対にそういうことができる人間じゃないので、「何人(なんぴと)も、いくらミニミニサイズのナイフでも持ち歩いてはならぬ」という、思考停止的で十把一絡げな規制に対しては疑問も抱くのだが、同時に「自分は大丈夫な人だから大丈夫」などという、説得力の弱い一方的な主張がこの社会では通用しないことも知っている。

ワールドワイドなブーム継続中! 「肥後守」ナイフの古風で不思議な魅力とは_f
刃体が約5cmと小さな「肥後守 青紙割込(ポケットサイズ)」。レザー製ケースも付属している

だからせっかく集めた愛しい「肥後守」は、自宅で竹刀を手入れするときや、たまに果物の皮を剥いて切り分けたりするときに使うだけ。
あとは夜な夜な砥石で研いでは、無駄に紙をスパッとやって切れ味を堪能したりしている。
危ないと言えばちょっと危ない趣味かもしれないが、きっとわかってくれる人も多いはずだ。

どうも僕は“肥後守沼”にまんまとハマってしまったようなのである。

ワールドワイドなブーム継続中! 「肥後守」ナイフの古風で不思議な魅力とは_g
夜な夜な「肥後守」を研ぐという変な習慣がついた。僕は一体どこに向かっているのだろうか