政治闘争の場としてのユネスコ
文科省がユネスコに対し、「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書」とともに、「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」を「世界の記憶」として正式に推薦すると決定したのは11月28日のこと。
このニュースに日本国内では歓迎ムードが広がる。ただ、「世界の記憶」は国際政治のダイナミズムに直結する素材ともなる。場合によってはユネスコが政治闘争の場となることもありうるだけに、一般の報道とは異なる観点からの解説を加えておきたい。
ユネスコは後世に残すべき価値を承継する事業として、3本の柱を持っている。日本人に馴染みが深いのは世界遺産の制度だろう。これは文化遺産と自然遺産、そしてまれに両方の性質を持った複合遺産からなりたっており、基本的に「不動産(場所や構造物)」が登録の対象となる。
2本目の柱として無形文化遺産の制度があり、これはまさに物体性のない、芸能や生活習慣、生産知識などが含まれ、日本からは能楽や和食をはじめ、2023年11月現在、22件が登録されている。
そして、最後の柱が今回のテーマである「世界の記憶」であり、この3つを合わせてしばしば「ユネスコの3大遺産事業」と呼ばれる。
さて、ユネスコが文化を扱うからといって、関係各国が仲よく足並みをそろえているとはかぎらない。本部がパリにあることからもわかるように、ヨーロッパのプレゼンス維持のための外交手段としてユネスコが機能してきたという側面は否定できない。
20世紀後半は米ソ冷戦の中で、そして近年は米中対立に埋没しないよう、フランスを始めとするヨーロッパ諸国は戦略的に文化政策を活用してきた。それゆえ、第二次世界大戦で傷ついたヨーロッパだが、大国間の対立の中でも文化面での存在感はいまだに大きなものがある。