鶴見を実際に歩いてみると、あることに気がつく。沖縄だけでなく、南米の香りも漂っているのだ。ブラジルやペルーのレストランや食材店も点在していて、街並みとふしぎに調和している。彫りの深いラテン系の顔立ちも目にするが、彼らもまた「ウチナンチュー」なのだ。
沖縄からの移民はハワイだけでなく、南米に向かう人々も多く、とくにブラジル移民の歴史は1908(明治41)年まで遡る。『ちむどんどん』の第25話(5月13日放映)でも、陸上部のキャプテン・正男がブラジルに行く話が暢子との会話で明らかになっている。
彼らはおもに農民として働き、苦労をしながら現地に根を張ってきた。沖縄の文化や方言を守りながらだ。世代を超えて2世、3世の時代になっても、家の中の言葉はポルトガル語と「うちなーぐち」だったという人も多い。
その日系人が、今度は日本へと逆流してくる。1990(平成2)年に入管法が改正・施行され、「日系2世、3世とその家族」が日本で働き、暮らせるようになったのだ。バブルの好景気の中、不足する労働者を日系人で穴埋めしようという政策だった。
こうしてブラジルやペルーに渡った日本人の子孫が出稼ぎ労働者として日本に舞い戻ってくるが、沖縄にルーツを持つ人たちの一部は鶴見にやってきた。だからこの街には、ふたつの流れを持つ沖縄人が同居しているのだ。下里さんは言う。
「2016年に鶴見沖縄県人会の青年部をつくってからは、南米の人たちにも入ってもらっているんです」
いまでは毎年行われる鶴見ウチナー祭でも、沖縄と南米の人々が協力する。
「県から出た人のほうがむしろ、文化を守る気持ちは強いのだと思います。県外に出たからこそ、沖縄の温かさや人の良さを実感するんです」
ドラマをきっかけに鶴見に興味を持ったなら、ぜひこの街を歩いてみてほしい。
(撮影/室橋裕和)