危機が慢性的になると、トップダウンの命令社会に
――『コモンの「自治」論』の中で斎藤さんはそうした現代の困難な状況を「人新世の複合危機」というキーワードで表現されていますね。
斎藤 「人新世」とは資本主義のもとでの人類の経済活動が地球という惑星のあり方を根底から変えてしまった時代を指す、地質学の概念です。それほど、人類の経済活動が地球を覆ってしまい、私たちが環境危機を引き起こしているということです。
もちろん気候危機もそのひとつ。気候変動で食料危機や水不足が加速し、難民問題などが深刻化すれば、資源獲得競争や排外主義の台頭によってさらに世界は分断され、インフレや戦争のリスクも増大するはずです。いや、世界を見れば、すでにそうなっている。資本主義が地球という人類共通の「コモン」を痛めつけたせいで、地球はもはや修復不可能な臨界点に近づいている。その帰結が「人新世の複合危機」です。
――「人新世の複合危機」が進むと、どうなるのですか?
斎藤 「人新世の複合危機」が深まれば、市場は効率的であるという新自由主義の楽観論は終わりを告げざるを得ません。新自由主義の代わりに浮上するのは物資の配給、現金給付、あるいはコロナ禍でのワクチン接種計画や都市のロックダウンのように国家が経済や社会に介入して人々の生を管理する「戦時経済」になっていきます。
――コロナ禍では、行政が飲食店に休業を強いたり、人々の移動に制限をかけようとしました。あの息苦しさが続くようなイメージですか。
斎藤 はい。気候変動ひとつとっても、今後、ますます危機的なものになっていくことは間違いありません。水や食料、エネルギーや資源などが不足し、経済危機、地政学リスクなどが高まっていきます。
こうした慢性的な緊急事態に対処するためには、政治はトップダウン型のものに傾きがちです。そんな中で排外主義者やポピュリストが権力を握って暴走すれば、民主主義は失われかねません。それは全体主義の到来です。
このまま人々が何もせずにいたら、10年後には「緊急事態に対処するために強いリーダーに全権を委ねよう。6割の国民を救えばよい。残りの足手まといの4割の弱者はどうなってもかまわない」というような社会になりかねません。そんな危機の淵に私たちは立っていることを自覚すべきです
このような危機を回避するためには持続可能性や平等を重視する、命の経済へと転換すべきです。この半世紀、私たちは「資本主義が社会主義なき時代における唯一の物語である」と信じ込まされてきましたが、その呪縛から解放される必要があると思います。
私たちは最悪の事態を避けるために、トップダウン型とは違う形で「人新世の複合危機」に対処する道を見出さないといけません。そして、それが「自治」という道なのです。
ところが一方で問題は、資本主義が、私たちを商品や貨幣に依存させ、自分たちで何かを決めたり、作ったりする力を奪っていっているところにあります。つまり、「自治」をする能力は、放っておくと、削られていくのです。
自分で考えたこと、構想したことを実行する能力もなくなり、なにかを生み出したり、決めたりする力が落ちています。自分で自由に決められるのはせいぜいコンビニでどんなお菓子を買うかということくらい。それくらい、私たちは他律的な存在に貶められている。
お任せ民主主義どころか、そのうちAI(人工知能)やアルゴリズムに政治や社会についての重大な決定を決めてもらう日が来てもおかしくありません。だからこそ、意識的に「自治」の力をつけていくことがこれまで以上に重要なのです。