性加害うけた子どもと発達の影響

成長した大人がペニスという言葉を聞けば、尿を出す場所だとか生殖器だとかさまざまな機能から考えることができますし、自分のペニスに限定せずとも一般的にペニスが意味しているものが分かります。しかし、第二次性徴前の子どもにとっては「おしっこをするところ」という尿を排出するという経験に基づいて理解されています。幼児の性器いじりというのもありますが、大人のように性的な意味を持っていないと考えられており、むしろ自分の身体について学んでいる最中であるとされています。

自分自身について、いつ、どこで、何をしたかというエピソード記憶は4歳頃に働き始めます。幼い頃の被害経験を持つ当事者は、昼間に、家で、父が自分のペニスを触っていたというような断片的でありながらも鮮明な記憶を語ることがあります。第二次性徴を迎えていない幼児のペニスも勃起することは普通で、そのときに快感が生じるのも身体の仕組みとして普通にあることです。しかし、その出来事の意味というのは大人と子どもとでは全く異なると言ってよいでしょう。

出来事を思い出し、それがどういうことだったのかと回想して考えるという行為はとても高度な言語能力を使います。4歳頃になると3〜4語ほどのキーワードが含まれた文章を理解できる子もいますが、それは、関係性や状況、行為の始まりから終わりまでの一連の動作一つひとつを結び合わせて全体の意味を作るまでには至りません。言語的に理解しづらい状況というのは、ぼんやりした理解の中にいることです。

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大人にとっては、例えば学んでいる最中の外国語で自分に起きていることをすべて説明しなければならない状況を想像すると近いかもしれません。初歩的な文法は分かるけれど、受動態や過去完了は使えないかもしれません。

また、ペニスを知っていても精液や性的感覚という言葉はまだ何と表現するか分からないかもしれません。ですから、おおよそのことは分かるけれど、細部まで細かくその外国語では理解することが難しい、という状況に似ています。

子どもにとっての性的出来事とは、クリアに理解できないのにもかかわらず強烈な刺激に晒されるということです。出来事というのはその意味がしっかり把握できるときにはその刺激を取捨選択し、それを枠づけて理解することで自分の経験として意味を持った形にすることができます。それが未成熟な子どもにとっては刺激だけが直接入ることで、過剰な体験となります。

こういった虐待に晒されることでさまざまな症状が表れてきます。特に子どもにおいてはそれが身体症状として表現されることが多いといわれます。腹痛や頭痛、下痢を続けたり、夜眠ることができなくなったりします。

また言葉でうまく説明できない子どもは、「ごっこ遊び」の中でその重大な出来事を何度も繰り返し行うこともあります。それまでできるようになっていたことが急にできなくなって、まるで成長過程を逆方向に向かうように赤ちゃん返りの状態になることもあります。

子どもの発達とは好きな遊びを通じて、少しずつできること、分かることが増え、世界が広がっていく過程です。そのときに過剰な刺激に晒されることで、それを処理するために多大な労力を必要とし、通常であれば少しずつ取り入れられる新しいものの入る余地がなくなる可能性があります。その結果として、言葉を話す時期が遅くなるなど、発達のバランスの崩れにつながることがあるのです。