明治の元勲のひとりである黒田清隆は酒乱のあまり、妻を斬り殺した疑惑をかけられた。ロシアのエリツィン大統領は他国の大統領のはげ頭をスプーンで叩いたり、泥酔して会談をすっぽかしたりした。
ただ、難しいのは、酒に飲まれるリスクを恐れて、酒を飲まなければいいということではないことだ。確かに、トルコ建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルクが酒を飲み過ぎて早死にしなければヨーロッパの歴史は変わったかもしれない。
だが、英国のウィンストン・チャーチルが朝から晩までウイスキーを飲めなかったら、ストレスで第2次世界大戦の行方が変わったといっても英国人は笑わないだろう。そして、2023年の今、酒を飲まないからといって人間は合理的な判断を下すとは限らないことは、ロシアのウラジミール・プーチン氏が証明してくれた。
立身出世のためには酒や会食をうまく使うのは欠かせないが、酒を飲むか飲まないかに正解はない。時代や置かれている立場で変わる。米国の大統領は21世紀に入って以降、過半が禁酒派だが、米国の世界での存在感は高まっても低下してもいない。
今、当たり前だと思われていることがかつては決して当たり前でなかったし、今、当たり前なことが正しいとは限らない。もちろん、今後どうなるかはわからないが、未来は過去からしか学べない。
歴史を支えた者たちがいかに酒と向き合ってきたか。そして、酒癖が悪い為政者は実務にどのような影響を与えたのか、それとも実はほとんど影響がなかったのか。そこにはアフターコロナでの人付き合い、酒付き合いのヒントも転がっているはずだ。