死刑執行

2004年9月14日。死刑執行当日の午前8時過ぎ、警備隊員5名が宅間を連れに独房に向かった。宅間は死刑が執行されることをまだ知らない。所長以下の幹部は皆、宅間が「そう簡単には自分を連行も執行もできないだろう」と考えていると確信していた。そのため職員を通路等に増配置し、暴れた場合の制圧訓練も行っていた。

付属池田小事件の犯人・宅間守は本当に死にたかったのか?~死刑を望んで人を殺傷した男たちの罪と罰~_2

「宅間、出房(しゅつぼう)だ」

宅間は何事かと怪訝な表情をしたが、房から出ると直ぐに職員に取り囲まれたので事態を飲み込んだのだろう。「ウッ!」と声をあげたが、抵抗はしなかった。エレベーターで一階に降りてから中央通路を通って死刑場に向かう。ふらふらと体勢をくずしながら歩き、何度か立ち止まったが、最後まで自力で死刑場入り口にたどり着き、階段を上った。

教誨室には所長、処遇部長、教育部長らが到着を待っていた。
所長が死刑執行の言い渡しをする。宅間は小さく顎を引いた。さらに所長は、
「言い残すことはないか?」と訊く。顔面蒼白な宅間は、握った拳を震わせながらも落ち着いて答えた。

「妻に『お世話になりました。ありがとう』と伝えてください」

所長は「それだけか?」とさらに問いかけたが、宅間は無言で小さくうなずいた。被害者や遺族への謝罪の言葉はついに出なかった。

所長は階下に移り、検事と検察事務官と共に所定の位置に置かれた椅子に座った。およそ半世紀前までは死刑執行直前、所長の判断で最後に煙草を吸わせ、菓子や飲み物を与えたこともあったというが、これらは過去の話である。

法廷では傍聴席の遺族に罵声を浴びせ、法廷を大混乱させた宅間だったが、一切抵抗することもなく静かに逝った。首にロープを掛けた警備係長に語った最期の言葉は、「嫁にありがとうと必ず伝えてください」だった。

刑死が確認されてから、大阪拘置所は死刑が執行されたことを妻に伝えた。妻は遺体での引き取りを希望した。

遺体は警備隊員の手で清拭され、遺体安置室に運ばれた。当日午後、霊柩車をチャーターして遺体の引き取りにきた妻に宅間の最後の言葉を伝え、遺品を手渡した。

霊柩車は職員に誘導され裏門から構内に入り、総務部長ら幹部が妻に同行して遺体安置室に案内した。本人確認のために棺の蓋が開けられ、妻はこの時はじめて、宅間に触れ、冷たくなった頬に両手を置いた。

妻は宅間が自分の犯した罪を悔い改めたのか、それを気にしていたのだろう。所内での様子をいくつか質問しながら、用意されていた生花を幹部職員と共に棺に納めた。刑務官は全員敬礼し、霊柩車を見送った。