記憶を伝えるもの

清水 ちなみに、微生物に「記憶」の概念はあるのでしょうか? 小説の中で、家具職人の鴻池さんは家具と触れ合うことによって故人の過去を再発見していきます。家具に持ち主の痕跡、実際に肉体の一部が残っていたりすることによって、物質だったり、周りにいる微生物たちがその持ち主のことを記憶しているからだと思っているんです。

小倉 面白いですね。微生物には脳がないので、人間における脳内の情報の記憶はありません。でも、記憶を情報として捉えるのであれば、微生物には遺伝としての情報がある。すごく面白いのは、微生物はすれ違うときに、隣のヤツに自分の遺伝子をあげちゃったりするんです。これを「遺伝子の水平伝播」と言います。微生物解析のプロジェクトをやっていると、わりと起こる事象なんです。

清水 遺伝子をもらうと、そいつの遺伝子になってしまうんですか?

小倉 簡単に説明すると、生命情報の全体のことをゲノムと言います。このゲノムの半分以上はジャンクで、よくわからないもの。生物種によりますが、そのゲノムの中で20~30%くらい意味を持っている部分があり、そこを遺伝子と言います。

清水 あのグルグルしているものイコール遺伝子ではない。

小倉 はい。ゲノムの中の機能がある部分が遺伝子です。例えば清水さんは、現代美術家であり、小説家でもあるし、部屋を掃除する人、ごはんを食べる人でもある。これが遺伝子の単位だと思ってもらえればと思います。水平伝播というのは、ぜんぜん違う生物種のやつが、すれ違うときに「この遺伝子あげる」とあげちゃう。例えばぼくとすれ違ったときに、「カビに詳しい」遺伝子を清水さんにあげちゃう。逆に清水さんは、「小説を書く」遺伝子をぼくにくれるかもしれない。そんな感じで超カジュアルに遺伝子を渡し合っている。なので微生物のゲノム情報を調べると、もらい物の遺伝子がたくさんあるんです。  
 微生物は基本的に有性生殖しないケースの方が多いので、だいたいクローンとして増えていきます。でもクローンだと生物として何も変化しない。有性生殖をしない代わりに、いろんなやつと遺伝子を交換し合っている。だから微生物の中には、いろんなやつの記憶が入っているとも言えます。実は人間もそうです。全然関係のない微生物やウイルスからもらった遺伝子情報がわれわれの中にはいっぱいあります。だから記憶の捉え方によっては、微生物は多種多様な記憶の集積場のようになっている。

清水 なるほど。

小倉 びっくりしますよ。解析すると、「お、こいつから遺伝子をもらっているぞ」みたいなことがよく起こる。遺伝子ってそんなにカジュアルに渡しちゃっていいのかしらと(笑)。結構な頻度で気まぐれにあげちゃうんです。ある意味、本を書いて誰かに読んでもらうことも、遺伝子をあげることと近いかもしれません。

清水 そう思うと、ものをつくること自体に、情報の伝達の役割があると言えますよね。たとえそれが椅子やベッドのような具体的に役に立つ道具であっても、それをつくって誰かに渡すことで、作者の意図を超えた情報伝達の機能がものづくりにもあるんじゃないかな。ちなみに、遺伝子を渡す規則性はあるんですか。

小倉 よくわからないんです。

清水 わからないんだ。

小倉 微生物は、ぜんぜんわかってないんですよ。生物学の最先端にいても、思った以上にわからない。いつも不可解なものに囲まれています。

清水 なるほどな。私が今回の小説を書く上で、人間の意識が認識する世界以外のもの、そうした細かいものたちが私たちのことを覚えていてくれたらいいのにという思いがありました。それこそ、大災害にみまわれて人がたくさん死ぬ国ですけれど、それで終わりではないだろうと。その人の暮らした土地、その人が一緒に生活していた家具たちならば、本人の存在の語り部になりうるのではないか。小さな生物たちが生きている中で「そういえば、あんなのいたわね」みたいに覚えていてくれたらいいのにって。  
 そして今、微生物のお話を聞いて、現実的にそういうことはあり得るんじゃないかと思いました。それくらい微生物の動きがよくわからないってことは、人間に匹敵するような記憶を、違う形の情報として持っている可能性もあるかもしれないですよね。巨大なカビの集合体が、出会った人について覚えてくれているとか。

小倉 実はそうした研究もあるんです。「クオラムセンシング(集団感知)」と呼ばれるもので、微生物は群体としてお互いがセンサーを出して、コミュニケーションし合っているのではないかと。ぼくたち人間は、どうしても個体単位で考えてしまいますが、微生物や生態系を理解するためには、一度個体や意識のバイアスを外さないといけない。そのバイアスを外した世界の中では、清水さんが言っていたような記憶伝達が起こっている可能性はある。ただぼくたち人間の思っているような形ではおそらくない。

清水 人間のままだと認識もできないんだろうな。

清水裕貴×小倉ヒラク 『花盛りの椅子』刊行記念対談「被災家具と微生物が交差するとき」_4
小倉ヒラク氏