つながりを求めて“居場所”に通い始める

生きづらさを抱える人たちの居場所に通い始めたのは27、8歳のころだ。ひきこもり、不登校、発達障害、精神障害など対象者によって、いくつもの居場所があり、定期的に集まって情報交換をしたり、ボードゲームをしたりして過ごす。

「仕事はしていたけど、虚しさもあって、何となく顔を出してみようと思ったのかな。そのころテレアポの仕事をやってたんですよ。通信教育の会員をやめた人に電話をかけて、またその会に入りませんかって勧誘する。相手は“結構です、ガチャン”。社会に迷惑をかけるような仕事だったから、余計にね」

それから15年以上経過した今も、川原さんは居場所通いを続けている。長く続いている居場所もあれば、途中で活動をやめてしまうところもあり、川原さんが足を運んだ数は相当なものだ。

「やっぱり、つながりが欲しいんです。いざというときに助けてもらうため、こうやって居場所に顔を出して無理やり誰かとつながっている感じかな。実家を出てからは親とも連絡を取ってないし、一人っ子で兄弟もいないし。ちゃんと頼りになる人がいたら、そんなに真剣にならないかもしれないけどね。

そもそも他で誰かと出会う場所はないですから。ない、ない。学校という枠から外れると、もう、出会いも何もないんですよ」

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“普通”をあきらめて、障害者手帳を取得したが……

居場所に通い始めてしばらくして精神科でADHDとの診断を受け、障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳2級)を取得した。

手帳を取ること自体は難しくなかったが、大変だったのは、自分の中で気持ちの折り合いをつけることだったという。

「そりゃあ、“普通”をあきらめて、障害者になるわけですからね……」

自分が発達障害かもしれないと思ったきっかけはあるのかと聞くと、「う~ん、何となくとしか言えないな」と言って、川原さんはしばらく考え込んだ。

「居場所とかで発達障害の情報と知識が入ってくると、自分も当てはまると思うようになってきた気がする。ちょっと忘れっぽいとか、片付けが下手とか、不器用とか。音にも過敏だしね。職場だと音が気になって仕事に集中できなくても、席を立ったり移動したりできないから、神経すり減らすだけです。コンサータという薬を飲むようになって、だいぶマシになりましたけど。飲むと頭の中が静かになって、多少は集中できるようになるんです」

発達障害は先天的な脳の発達の偏りによるもので、能力に凸凹があると言われている。川原さんの場合、事務仕事でのミスの他に、数字の処理速度も遅かったそうだ。

「花火大会で焼きそばの屋台を手伝った時、350円+350円の計算ができなかった。暗算が無理なんです。その代わり、電卓を使えば謎の速さを誇るけど(笑)。パソコンは普通に使えたし、人前で話せと言われれば、それなりに話せる。だから、他の人から見たら謎でしかないみたいですよ」

見た目ではわかりにくい障害だからこそ、なかなか生きづらさを他人に理解してもらえないのだろう。その後も、川原さんの苦悩は続いた――。

(後編)へ続く

(後編)『「きちんと教育を受けたかった」10年以上ひきこもりだった発達障害の女性のホンネ。「無理して社会にしがみついて自死する子も多い」という生きづらさの正体』

取材・文/萩原絹代 写真/shutterstock


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