東京ロッカーズ、めんたいロック、関西NO WAVE、そして名古屋にスタークラブあり
1970年代末、日本の各都市で地域性の強い独特なロックシーンが誕生していた。
東京では、ニューヨークのポストパンクムーブメント“NO WAVE”に呼応したフリクション、リザード、ミスター・カイト、MIRRORS、S-KENなどのバンドの活動が話題となり、彼らは“東京ロッカーズ”と呼ばれた。
博多ではシーナ&ザ・ロケッツ、ARB、ザ・ロッカーズ、ルースターズ、THE MODSなど、ブリティッシュロックや初期パンク色の強いバンド群が、“めんたいロック”と称され人気を博す。
大阪のINU、アーント・サリー、京都のウルトラ・ビデ、SSなど、ポストパンクや電子音楽、ノイズ、ハードコアといった、ひときわアヴァンギャルド色の強い関西のバンド群は、東京ロッカーズに対抗し“関西NO WAVE”を自称した。
しかし名古屋は、ロンドンパンクからの影響が色濃い、1977年結成のザ・スタークラブに続くような際立ったバンドがなかなか登場しなかった。1970年代後半から1980年代初頭にかけての、名古屋アンダーグラウンドシーンについて、当事者であるHIKAGEは語る。
「スタークラブをはじめた頃、名古屋でパンクをやっているやつらは、我々以外にはまったくいませんでした。他のバンドは長髪のハードロックばかりだったから、『俺たち以外は誰も格好良くない』と、すべてを排除する気持ちでしたね。名古屋のパンクシーンは、大須のE.L.L.(Electric Lady Land/1977年12月創業のライブハウス)ができてから、少しずつ始まった感じですね」
ザ・スタークラブが耕した名古屋のパンク畑からはやがて、ロッカローラ(1980-1985年にザ・スタークラブに在籍した4代目ドラマー、NO-FUN-PIGの出身バンド)、オキシドール(のちにブランキー・ジェット・シティのメンバーとして名を馳せるドラマー、中村達也のバンド)、そして双子のボーカリストが話題だったローズジェッツなどのバンドが出現する。
基本的にその4バンドとよくやっていましたね。あと、『TOLL GATE AHEAD』のレコーディング時にバンドを抜けたリョウジオが原爆(The原爆オナニーズ/1982年結成)を結成するんだけど」
名古屋のパンクシーンといえばザ・スタークラブと並び称される、今も現役バリバリで活動するthe原爆オナニーズ。原爆オナニーズのフロントマンであるボーカルのTAYLOWは、ザ・スタークラブと縁が深い。
「TAYLOW君と初めて会ったのは1979年でしたね。トム・ロビンソン・バンドだったかな? 誰かのライブを観にいったときにその会場で。見様見真似でやっていた俺らと同じように、TAYLOW君もすごいパンクの格好していた。名古屋には他にそんなやつはいないから目立っていて、『お兄ちゃん、格好いいね』って声をかけたんです。
『俺ら、バンドをやってる』と話したら、彼は『俺はバンドやってないけど、お前らの親衛隊をやってやるよ』と。それ以来、親衛隊長としてライブに毎回来てくれるようになりました。先日発売した初期スタークラブのライブ音源をまとめたCD『NO RIVAL』に入っている客の奇声は、実はTAYLOW君の声なんです」
日本のパンク黎明期、1970年代末の名古屋における運命的な出会いの話は、聞いているこちらがゾクゾクしてくるようなものだった。