昭仁容疑者は「ちょっと欠けているようなところが見受けられる」タイプ
9月17日夜、同店の前で落涙し、長時間手を合わせていた男性に取材班が声をかけると、弘輝さんの母方の従兄弟だった。途中、何度も嗚咽で声を詰まらせながら、男性は最後まで真摯に取材に応じてくれた。
この親族は水道や配管の工事を手掛ける職人で、同店が開業する際も水回りやエアコン設置を担当したという。男性によれば、弘輝さんの祖父は約60年前に神奈川県内で製麺所を創業し、父は同製麺所の役員を務めながらラーメン店を経営と、文字通り、ラーメン屋が「天職」のような男だったという。
「弘輝はほんとにラーメンが好きで、よく食べ歩いたりしてました。高校を出てからしばらくはたしか貴金属やブランド品の買い取りをする会社でサラリーマンをしていたんですが、その後に横浜家系の有名なラーメン店で数年間、修行をして独立した感じです。彼には僕と同い年の兄がいて、幼いころからお揃いの服を着たり、家族ぐるみで旅行に出かけるような関係でした」
一方の昭仁容疑者の人となりについては「変わっていた」という。
「昭仁は、ちょっと欠けているようなところが見受けられるタイプではありました。結婚式で親戚が久しぶりに一堂に会したときには、みんなで挨拶したり、おめでとうと言い合ったりしますよね。ところが昭仁は、そういうときでも平気で本を読んでいたと僕の母親から聞いたことがあります」
いったい、どういう経緯で、弘輝さんのラーメン店を手伝うようになったのだろうか。
「職にも就かずフラフラしていたところを、弘輝の母親が『だったら店をやらないか』と声をかけたと聞いています。開業後すぐではなく、少し経ってからだったと思います」
弘輝さんが2つ年上の昭仁容疑者を「アキヒト」と、昭仁容疑者は「店長」や「ヒロキさん」と呼び合っていたが、それも自然な感じで、二人の関係が険悪に見えることはなかったという。
「僕が工事に来ているときには二人から仲が悪そうな雰囲気を感じたことはありませんでした。弘輝からも『味に変わりがないかチェックしてほしい』と頼まれたので、その後も月1回くらいは店に行ってましたけど、弘輝が昭仁についての愚痴を漏らしたこともなかったです」