深夜の電話が伝えたミッションとは

真夜中に電話が鳴った。時計を見ると午前1時。正確に言えば、1988年5月末の某日。場所は、ニューヨーク、ミッドタウンにあるアルゴンキン・ホテルの一室だ。あ、もう30年以上前の話になっちゃう。

いったい誰が?と、いぶかしく思いつつ受話器をとる。と、流れてきたのは「もしもし。ロードショー編集部のKです」という声。えええ!?と、かなり驚く。だって、すべての締切を徹夜でクリアして、ニューヨークに友人とふたり、遊びに来ていたのだもの。原稿になにか問題があったときのために、ホテルの電話番号は関係各所に伝えておいたかもしれないけど、まさかかかってくるなんて…。

念のため説明すると、当時はまだスマートフォンどころかケータイもない時代。もちろん、PC普及より、ずっと以前のことである。というわけで、連絡手段は電話かFAXのみ。サマータイムの時差14時間を超えて電話してきたKさん@東京の時間は、前日の午前11時という計算になる。

Kさんの声はさらに続く。
「そちら時間の明日夜、『星の王子ニューヨークに行く』のマスコミ試写があって、その後エディ・マーフィの会見があるんですけどね、それ取材してきてくれませんか?」

真夜中の“ミッション・インポッシブル”、あるいはエディ・マーフィの会見_a
人気絶頂期のエディ・マーフィが主演した『星の王子ニューヨークへ行く』
Mary Evans/amanaimages

再び、えええ!?となってしまう。明日の夜? 夜の試写は日本でもままあるけれど、深夜の記者会見ってあるのぉ? Kさんの言葉は続く。「それがねぇ、あるんですよ。エディ・マーフィは超多忙でしょう。映画のリリース(公開)も近いし、ロサンゼルスからニューヨークまでその日に飛んで行くそうなんです」。

納得。当時のエディ・マーフィは『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)『ビバリーヒルズ・コップ2』(1986)の大ヒット連打で、人気の絶頂期。来日など望むべくもない多忙の大スターである。ついでに言えば、彼は飛行機嫌いで知られ、現在に至るまで来日はしてないのだけれど。

ともあれ、Kさん案件は引き受けることにし、試写と会見の場所、ニューヨークのパラマウント・オフィス(当時の『星の王子~』の配給会社)の電話番号と担当者の名前をメモしたのだった。