宮崎勤・元死刑囚の自室
宮崎勤・元死刑囚の自室

「娘はまだ元気で、子供の好きな人に育てられていると信じているのです」

3人の幼女失踪事件のなかで、まったく手がかりがなかった飯能市の小学1年生Bちゃんの母親(当時39歳)が、愛娘の写真を前につらい胸のうちを、切々とわたしに訴えた。

「昨年の12月にCちゃんが遺体で発見されたとき、一瞬でうちの娘だと思いました。Aちゃんの家に骨が送られて、歯型がAちゃんのものでないと発表されたときは、目の前が真っ暗になりました。

残された親御さんの気持ちが痛いほどわかるし、本当につらい毎日だったと思います。心のどこかで、もしかしたら同じ犯人では、との思いもあります。でも娘はまだ元気で、子供の好きな人に育てられていると信じているのです」

Bちゃんが行方不明になったのは1988年10月3日、Aちゃん失踪の約2か月後である。Bちゃんは午後1時50分すぎに友達と学校を出て、欠席した男の子の家に連絡帳を届けて帰宅。その後、外に出たまま足取りが途絶えた。有力な目撃者はいなかった。

宮崎勤・元死刑囚の自室
宮崎勤・元死刑囚の自室

Bちゃん一家は、飯能市に越してくる4年前まで、入間市のAちゃん宅から数百メートルのところに居住していた。だが、面識はなかったという。

「近所に住んでいたことが、今回の事件と関連があるとは思えないし、思いたくないです。街で行方不明になったAちゃんのポスターを見た娘は『かわいそうだね』と言っていました。まさか、その子が同じようにいなくなるなんて……。

お姉ちゃんは、今でも毎朝、Bのランドセルにその日の授業の教科書を揃えてやっています。私は夜、パジャマを着ません。いつでも飛び出せるように洋服のまま床に入っています。見る夢は、娘の元気な姿。かくれんぼをしていて、あの子がワッと笑顔で出てくるのです。つかまえようとしても手が届かない……やっぱり夢だったのか……。
誘拐した方にお願いいたします。どうか一言でも、一言だけでも元気な声を聞かせてください」

この母親の悲痛な願いは、悲しいかな、届くことはなかった。