ムサシ機関=小金井機関

阿尾の著書でムサシ機関長(別班長)だったことを暴露され、〈多くのマスコミから電話や手紙による取材攻勢を受け、その対応に苦慮した〉平城弘通は、別班の元トップとして〈いまさら当時の情報活動のことを機密にしても、かえって誤った事実が歴史に残るのではないか〉と考え、2010年9月に『日米秘密情報機関「影の軍隊」ムサシ機関長の告白』を出版した。

同書には阿尾への強烈な批判も含まれているが、さすがに元トップが著した内容は、別班の戧設の経緯や当時の組織構成、所属要員、経理処理、自身の別班長就任のいきさつなどが詳細に書かれており、ここまで紹介してきた他の刊行物に比べても、史料的価値は高い。

平城は阿尾について、〈ムサシ機関の存在が暴露されかかり、その対策として一連の改革を実施したが、それに関する人事異動の一環として、阿尾一尉は陸幕二部直轄工作員として陸幕二部に引き取ってもらった。陸幕二部がその後、阿尾一尉をどのように使ったのかは知らない〉と告白。

『VIVANT』でもまだ謎の多い“別班”はなぜ非公然組織になったのか。元所属者による暴露本の衝撃的内容…しかし「過去も現在も存在しない」と防衛省(防衛庁)は主張_4

その上で、〈阿尾一尉が制服を脱いだ昭和四〇年の処遇にも、確かに私が関係しているが、彼の著書で吹聴する「阿尾機関」という名称が許された覚えはない〉と厳しく指摘している。

さらには、〈彼の発表している「秘密工作」の大部分は、私がムサシ機関長を辞めてからのことなので、その真偽のほどはわからないが、真実であるとすれば、大きな仕事をやったものだと評価できる〉と持ち上げる一方、〈阿尾博政の実名を使って工作しているところに疑問を感じる。工作員は実名を名乗ることはない。必ずカバーネームで行動する〉と指摘しつつ、阿尾の「秘密工作」は信用できないと強く示唆している。

元別班トップとして、平城は誰も知らなかったふたつの新事実を明かしている。

まずひとつは、別班の通称である「ムサシ機関」の存在が暴露されそうになると、「小金井機関」に改称していたことだ。

1965年6月、陸上自衛隊中央調査隊から、「共産党や朝鮮総聯朝霞支部が『(朝霞の米軍)キャンプ・ドレイク内にある自衛隊組織の実情を調査して報告せよ』との指令を出している」との通報があったことがきっかけだったという。

対策として、班員全員のキャンプ・ドレイク通門許可証を取り上げ、科長以外の工作担当幹部の出入りを禁止。さらに、工作員同士の横の連絡も禁止するとともに、米側の了解を取って「ムサシ機関」を「小金井機関」に改称した。