なにも覚えていなかった母親

「自分の気持ちを見ていくといい、と言われて考えていました。私は、母からされたことが本当につらくて、怖くて。ずっと、そのことを母にわかってほしいと思っていたんです。

母に正直な気持ちを伝えれば、絶対にわかってくれると考えていました。多分、それは無理だとここで言われたので、先生への反抗もあったんだと思います。私の母は共感性が乏しいから、理解しあうことは無理だと、はっきり言われたのははじめてでした。

それで、急にたしかめたくなったんです。十数年ぶりに実家に行って、母と話しました」

と彼女は、前回と今回のカウンセリングのあいだの出来事を話しはじめた。

彼女の実家は、夜行バスで走り続けて7時間のところだった。十数年ぶりの母親との再会。駅で待ちあわせると、不機嫌そうな顔をして立っている母親がいた。

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「勇気をだして、小さいころに叩かれて押入れに閉じ込められたのがすごく長い時間だったので、とても怖かったと、言ってみようと思ったんです。

そのとき、家はいろいろと大変でした。父は借金があってお酒ばかり飲んでいたし、弟は小学校に行きたくないと言っていたし。だから、母も大変だったんだと思って。そんな最中だったから、いまとなれば、あれはひどいことをしたと思ってくれているだろうと思ったんです。『悪かったね』と言ってくれるのを期待していた私がいました。

だけど母は、『そんなことあったっけ?』『あんたの記憶違いじゃないの?』『そんなことするはずないでしょ? 大事に育ててきたんだから』という返事でした。

もし母が本当に私のことを大事に思ってくれているのなら、ちょっとくらい連絡してきてくれてもいいのに、と思いました。それも言ったんです。そしたら母は、『あんたから電話してこなかったんじゃないの! こっちは忙しいのよ!』って。

しかも、私が受けた母からの暴力や暴言の数々は、母の頭から綺麗さっぱり消えているんです。そんな人に、私が一生懸命につらかったと訴えても、なんにも響かないというか。

すごく残念というか、なんというか、どうにもならないような、打ちのめされた気持ちになりました……。無力感です」