「掃除をしてもらうために迎えに行ったのに」

母親は、家に着くなり荒々しく玄関の扉を開けた。そして、どかりと板の間に座り込んで言った。

「あんたの話に付きあっていたら疲れた」

そういう母親の態度に、彼女はいつも怯え、機嫌をうかがっていた。

彼女は、母親に機嫌を直してもらおうとした。なにかしてほしいことはないかと聞くと、「掃除」とひとこと。彼女は従った。しかし、カビだらけになった風呂場の掃除をしていると涙が出てきた。それから少しして、彼女は言った。

「なぜ自分は母親から虐待を受け続けたのか?」“虐待サバイバー”の40代女性が心の傷を回復するのに必要だった理解_3

「急な用事を思いだしたから、今日はもう帰るね」

それを母親は止めなかった。そして、再びひとことだけ言った。

「掃除は終わったんだよね? 掃除してもらうために、わざわざ駅まで迎えに行ったのに」

人の気持ちが考えられない母親

「言われたことは本当でした。本当だ、本当だ、って実家を出てきてバス乗り場に着くまで、何回も心のなかで繰り返していました。

私の母は人の気持ちを考えられない、だから行動の前後に整合性がない、それに、その場の感情で動いているから子どもの気持ちを汲みとれない、と言われたことを思いだしていました」

彼女は、私がカウンセリングで指摘したことを反芻(はんすう)したという。

気がつくとバスターミナルの待合に座っていた。いつの間にか乗るべきバスは到着していた。発車を知らせるアナウンスが聞こえてきて、慌てて飛び乗った。

「私のなかにある小さいころからの記憶が、母のなかでまるっきりなかったことになっていたんです。母のなかにないのであれば、それはもうないんだろうと思います。

私は母のなんなのか。母は私のなんなのか。私は、母になにを期待して、なにを求めてきたんでしょうか」

急に、これまでの人生の意味が失われたような気がした。と同時に、本当にひとりぼっちだったのだと思った。母親からの愛情を、必死に信じようとしていた自分が見えた――。

バスの車内。遠く離れていく自分の育った町を見た。あの無数にある家々のうちのひとつで、長いあいだ過ごしていた。小さな町の、小さな家だった。小学校からの帰り道は決まってひとりだった。その道を遠く離れて見ると、小高い丘に続く住宅街へとのびていた。

いつも向こうのほうの家に帰っていく子どもたちを遠くから見ていた。やさしいお母さんがいていいなと思った。手をつなげていいなと思った。授業参観にきてくれていいなと思った。おいしそうなご飯の匂いが家のなかから外まで漂っているのを嗅いで、「家庭」を感じた。風呂場できゃっきゃと騒いでいる子どもと父親の声を聞いて、「家族」を想像した。