東京ドーム7.5個分の日本一大きな市場
誰もが知る豊洲市場を主な題材として、水産流通の世界を解説していきます。豊洲市場といえば、世界中からも人が訪れ、世界一の水産物市場とも言われます。
まず、豊洲市場の概要や歴史を簡単におさらいしましょう。
豊洲市場の正式名称は、「東京都中央卸売市場豊洲市場」です。国が認可し東京都が開設する市場として、水産部門と青果部門を有します。敷地面積40.7万㎡、延床面積51.7万㎡の大きさで、築地市場の約1.7倍、東京ドーム7.5個分の日本一大きい市場で、世界的にも大規模といえます。
豊洲市場の歴史をたどると、そのルーツは徳川家康が将軍だった1600年代当初にまで遡ります。
家康は、江戸城内の食糧を用意するため大坂の佃村から漁師たちを呼び寄せて幕府に魚を納めさせました。漁師たちは、その残りを日本橋のたもとで売るようになり、豊洲市場のルーツとなりました。また、魚市場が、「魚河岸」と呼ばれる由来にもなっています。
この状況は長く続きましたが、大正期の1923年が激動の年となります。
「中央卸売市場法」により日本橋の魚市場は3月に東京市が指導、運営するようになりました。しかし、9月に関東大震災が発生。甚大な被害が生じ、日本橋の魚市場はなくなります。
その後は、芝浦の仮設市場を経て、12月に魚市場が築地の地にやってきます。最初は暫定的な市場でしたが、昭和に入った1935年に東京都中央卸売市場として以前の築地市場が開場しました。
それから、築地市場は約80年という長きにわたって利用された後、豊洲市場に移転することとなります。新たな時代の流通ニーズに応える市場の必要性が叫ばれる中では、築地市場を改築する案もありました。しかし、流通量も増え狭くなったことや施設の老朽化が進みすぎたこともあり、場所を移すこととなったのです。