芸歴42年、ぶっちゃあ(68歳)「明日売れようと思って生きてます!」 ダンディ坂野、アンジャッシュらを育てた“黒子芸人”の夢_8

アンジャッシュ、ダンディ坂野らの講師に

とんねるずやダウンタウン、ウッチャンナンチャンなど「お笑い第三世代」が台頭したことで、お笑い芸人の志望者が増えていった。30代後半になったぶっちゃあに与えられた仕事は彼らを指導することだった。

「僕らのコンビは、サンミュージック時代にはまったく売れず。人力舎に移籍してからも状況は変わりませんでした。NSCからどんどん売れっ子が出てきたので、人力舎も養成所をつくることになり、僕たちが講師役を務めることになりました」

1992年、人力舎が関東に初めてのお笑い芸人養成スクールを立ち上げた。その名も「JCA」。

「その1期生から6期生までに僕たちが関わりました。アンジャッシュ、ダンディ坂野、アンタッチャブル、東京03、ドランクドラゴン、北陽などがいました。

生徒が1年生なら講師も1年生。教科書的なものは何もないから相方とふたりでいろいろ考えながら教えていました。生徒のネタを見てアドバイスをしたり、ネタのつくり方を教えたりしていました」

芸歴42年、ぶっちゃあ(68歳)「明日売れようと思って生きてます!」 ダンディ坂野、アンジャッシュらを育てた“黒子芸人”の夢_9

当時の様子をこう語る。

「人力舎に来ている子は専門学校に通ってるみたいな雰囲気でしたね。アンジャッシュの児嶋(一哉)のお母さんが菓子折りを持ってきたことがあって、(息子が)麻雀とかパチンコとか遊びほうけていたけど、養成所に通うようになってから朝はちゃんと起きるようになったと感謝されました。『おかげで、息子がまともになりました』って」

ぶっちゃあは黒子として、数多くのお笑い芸人を世に出した。

「光浦靖子が小劇団にちょい役で出ているのを見て『劇団やってても食えないから』と言ってスカウトしたんです。人力舎に入ってからすぐに売れましたね」