発達障害が教育虐待につながるケース
医師や研究者など、高い学力を必要とする職業に発達障害の人が多いと言われるのは、そうしたことが一因としてある。人の気持ちを汲み取るのが苦手だったり、独善的な意見を押しつけて人とうまく付き合えなかったりするが、学力は高くなるのだ。
彼らは学歴ゆえに社会的な地位を手に入れられるし、子供に受験をさせるだけの経済的余裕も持っている。だから、自分の成功体験を子供に押しつけ、受験を強いる。
それで子供が期待に応えられるだけの成績を出せばいいが、勉強の得意不得意は運動能力と似たようなものなので、親と同程度の学力がつくとは限らない。そうなると、親はそこを理解せず、ASDの強いこだわりを子供への指導へ向け、先の事件のように虐待と呼ばれるような行為に及ぶのだ。
発達障害と教育虐待の関係でもう一つ重要なのは、子供が同じように発達障害だった場合だ。発達障害は100%ではないが、遺伝的要素があり、親子がともに発達障害ということがある。次は、拙著の取材で知り合った親子の例だ。
上原琉星(仮名)というADHDの子供がいた。彼は子供の頃から集中力がつづかず、あっちこっち歩き回ったり、人にちょっかいを出したりしていた。
彼の父親も発達障害だったが、琉星とは異なり、非常に強いこだわりを持って一つのことを黙々とするタイプだった。
琉星が小学校に上がってから、父親はだんだんと彼の成績不振が気になるようになった。学校では立ち歩いてばかりいて何度も教員に呼び出され、成績はずっと低迷をつづけていたのだ。
そこで父親は自ら琉星の勉強を指導することにした。だが、ドリルをやれと言っても、琉星はやらずにどこかへ行ってしまう、塾へ入れても公園や商店街に寄り道をして行かないといったことがつづいた。サボっているわけではなく、ADHDの特性がそうさせていたのだ。