モーニング娘。おとめ組で心を入れ替えた!?
――モーニング娘。おとめ組(2003年9月~2004年3月の期間、メンバーを2ユニットに分け、モーニング娘。おとめ組、モーニング娘。さくら組として活動した)としての活動もありましたが、楽しかったと発言されていましたね。
楽しかったっていうか、モーニング娘。加入からおとめ組の前までは、反抗期だったんです。誰とも話さないみたいな(笑)。ですが、そろそろちゃんとがんばらないと…と、心を入れ替えられたタイミングがおとめ組でした。メンバーを半分に分けられて、対立構造みたいにさせられるから、ちょっとこれは、がんばらないとなって。やっぱり、負けたくないんで(笑)。
――負けたくないという感じだったんですね! 当時見てた時は、まったくわかりませんでした!
実はそうなんです(笑)。おとめ組として団結しなきゃという感じでした。おとめ組がなかったら、ずっと反抗期が続いていたかもしれません。
――そんな中、ガッタス(ハロー!プロジェクトメンバーらを中心としたフットサルチーム)としての活動も始まりました。
最初、“ハロプロメンバー全員1回練習に行け”と言われて、10人くらいが選ばれたんです。その時、私は選ばれてなかったんですよ! それでスポフェス(ハロー!プロジェクトスポーツフェスティバル2003)を東京ドームでやったときに、私がいないガッタスの試合があって。終わったあとに監督の北澤豪さんに「入らない?」って言われて、「でも私、選ばれてないですからね。入ってほしいんだったら入りますけど」って、入りました(笑)。
――結果、入ってよかったですか?
入ってよかったです! 元々運動自体も好きだし、負けず嫌いだし、すごいいい環境を用意してもらえましたし。ひとつの目標に向かって、先輩後輩、グループとか関係なくやるというのがよかったですね。
――ですが、アイドルとフットサルの両立はものすごく大変だったんじゃないですか?
大変でしたけれど、大変よりも「楽しかったな」しかないですね。本当に、青春でした、めちゃめちゃ楽しかったです。
――アイドルは青春ではなかったんですか?
アイドルはお仕事です(笑)。決まった振り付け、踊り、ダンス、歌詞があって、つんく。さんが表現したいものを表現するお仕事。でも楽しくないっていうことじゃなくて、プロとしてお金を払って見に来てくれたお客さんに喜んで帰ってもらわなきゃいけないお仕事だと思っていました。ガッタスは“やらされてる”のではなくて、自分が選択して“やってる”。
――何で10代の時からそういう思考に、なっていたんでしょうか。
“冷めガキ”だからじゃないですか(笑)。みんながお金を払って来てくれているなら、楽しませて帰さなきゃいけないと、職人みたいに考えていました(笑)。ライブはお客さんありきで、みなさんがいないとライブもできない、みなさんがいるからライブが楽しい…当時からライブって、お客さんがいて完成されるものだと思っていましたね。
取材・文/岩岡としえ 撮影/キンマサタカ
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