「何で戦えるか?」「何もない」コンビ解散へ
若い芸人たちとしのぎ合いを続けるうちに、「ここは長く戦う場所じゃない」とカネシゲは思うようになった。
「芸人として活動すればするだけ、ほかの芸人たちと刀を交えれば交えるほど、そんな思いが積み重なっていきました。俺には決定的に何かが足りていない、と。
野球選手にたとえるとすれば、『走・攻・守』のすべてが足りない。何もかもが足りない。『何で戦えるか?』と自分に問いかけて出てきた答えは『何もない』でした」
ネタはもっぱら岩尾が考えていた。
「相方が書くネタが面白ければ任せっきりになってしまう。主導権は岩尾にあって、僕はそれをサポートするような形で。自分のツッコミにキレがあるわけでもないし、『俺はどうすればいいのか』と考えるようになりました」
そんなころ、2丁目劇場の閉鎖が決まる。コンビ解散にカネシゲの気持ちが傾いていった。
「ふたりは殴り合いをするわけじゃないし、特別に仲がいいわけじゃないし。もともとは同級生ですけど、ビジネスパートナーという感じでした。活動していくうちに、意見の食い違いはいろいろとありました」
カネシゲはNSCに入ったときに講師の放送作家から「コンビが長続きする秘訣」を聞いたことがある。
「ふたりでネタをつくっているか、仲がいいか。『そのどっちかなら、長く続くから』と。でも、うちらのコンビはどちらでもなかった。そうなると、やっぱり苦しくなる。
先輩や同期を見ても、そのふたつがないところから、解散していきましたね。あの作家の先生の指摘は正しかったと思います」
岩尾もカネシゲも当時はまだ20代半ば。不満や不安の矛先が相方に向かうことがあっても不思議ではない。
「僕が『やめようと思うんや』と言ったら『そうか……』という感じでした。おそらく、向こうもこのコンビで長くやっていくのはきついと思ってたんじゃないでしょうか。岩尾は『俺、これからどうしようかな。ピンでやろうか』と言っていましたね」