漫画家としてのセカンドキャリア
もしあのままコンビで活動を続けていたらどうなっていただろうか?
「岩尾とずっと組んでいれば、その後もテレビに出ていたかもしれません。でも、自分で満足できなかったし、毎日がつまらない……僕はたとえ未熟でも自分で考えたことを、自分の思い通りに出したい人間なんだっていうことに気づいていました。
『自分でモノをつくってナンボの人間』だと思って、僕から解散を言い出したんですね。『俺は漫画の世界でやっていく』と伝えました」
岩尾がM-1チャンピオンになって20年。カネシゲは今、漫画家、イラストレーターとして活動している。
『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第2回コマキン大賞で準キングを受賞。その後、『週刊少年ジャンプ』『ガンダムエース』(KADOKAWA)、『まんがライフ』(竹書房)などに作品を発表した。
プロ野球を題材にした書籍『野球大喜利』シリーズ(徳間書店)、『みんなのあるあるプロ野球』(講談社)など多数の著書がある。
岩尾と比べれば時間はかかったが、自分の力で戦う場所を確保した。
「プロ野球を大喜利にしたシリーズが売れたのは、お笑い芸人時代の経験があったから。僕は大喜利がヘタクソで、点数でいえば60点くらいなんですけど、漫画家としてツッコミ役に徹し、皆さんのボケ回答をいじったり広げたりしたことで長く続くものになった。芸人時代の経験をやっとマネタイズできました(笑)」
お笑いコンビ「ドレス」としての活動期間は4年ほど。しかしこの時間はカネシゲには大きな財産となった。
「日本一の漫才師と4年もコンビを組めたんですから。その後、違う世界に飛び出したとき、モノサシになりました。
どれぐらいの才能のある人間が、どれくらい頑張ればいいのか。どうすればあの位置までいけるかというのがなんとなくわかるようになりました」
かつての仲間や先輩・後輩たちが芸能の世界で成功をつかんでいる。売れる人と売れない人との間にはどんな違いがあるのだろうか。
「賞レースでチャンピオンになっても、売れない人もいます。自分が前に出て面白さを打ち出すことも大事ですけど、まわりを生かす優しさもないといけない。
テクニックだけじゃなくて、根本的な人間力が試されるのかもしれない。ネタが面白いだけでは難しい」
30代になった自分が売れっ子芸人たちと競い合い、勝ち上がるイメージはカネシゲにはなかった。
「ライブのエンディングとかで、売れる人は前に出るだけで爆笑を取っていく。もし僕がもう一度人生をやり直したとしても、たぶん前に出る勇気はない。出ていかなくてもまわりからいじられる人もいるけど、そういうタイプでもない。
芸人って、欠けていれば欠けているほど面白いと思います。ただ、あまりに欠けすぎるとテレビに出られないし、出番が限られてしまう」
「フットボールアワー」は、いまやテレビ番組に欠かせないお笑いコンビだ。
「もともと後藤はあんなに明るい感じのやつじゃなかったんです。売れるために変わっていった。岩尾は昔のアングラ的な不気味さがなくなって、かわいくなっていきました(笑)。
見た目もそうだけど、面白いのは声ですね。だから、コメンテーターとしても存在感を出せる」