寝そべって何もしたくない「タンピン」

綿矢 では、次の質問です。中国の春節(旧正月)映画やアクション映画を見ていると、パワフルでエネルギッシュだと感じますが、中島さんのご著書を読んでいると、タンピン、寝そべり族の登場や、中国人の新世代の洗練や覇気のなさについても書かれています。中国の人たちの精神性にいったいどのような変化が起きているのでしょうか。
 中国の春節映画などには孫悟空みたいなエネルギッシュで自分を信じている人が活躍する話が多いですが、そういうこれまで人気のヒーロー像と、最近の中国の若者たちの実態が離れてきているのかなという感じがしましたが、いかがでしょうか。

中島 基本的に、中国人の多くは、とてもポジティブだと思います。常に前向きな人たちが半数以上いて、みんな今より少しでも豊かになりたいと思い、エネルギッシュに活動しています。しかし、新しい傾向として、「タンピン」という、寝そべって何もしたくない低意欲の人たちが出てきました。
 実はタンピンといっても二種類いて、一つは富裕層の子どもで、お金は十分すぎるほどあり、何もやる気が起きなくなっているという人々。もう一つは、メディアでもよく取り上げられているように、競争社会に疲れ果て、もうこれ以上がんばれないと思って、無気力になっている人々です。

綿矢 お金がありすぎて何もやる気が起きない人たちというのは、あまり周りには見かけないですが、二つ目のタイプのタンピン族は日本もけっこう多いかもしれません。

中島 中国も成熟化して、だんだん日本に似てきたんですよね。社会全体が豊かになると、あまりがんばらない人も出てきます。たとえば、中国の大学入試「高考(ガオカオ)」は大変な競争だと日本でもよく報道されますが、今は中国でも選ばなければ、どこかの大学に入学できる時代。あまり勉強しない学生も増えているんです。

綿矢 お金のある生活をしてきて、ガツガツしたところが無くなってきたんでしょうか。

中島 まだ日本人よりはガツガツしていますが(笑)、だんだん貪欲さがなくなってきていることは確かですね。それに、一人っ子政策が長かった影響もあるかもしれませんが、裕福な人だけでなく、お金があまりない家庭でも、子どもには贅沢をさせてあげたい、と思う親が中国には多いです。

綿矢 その気持ちは万国共通かもしれませんね。
 私が中国映画を好きになったきっかけは、日本では消えてしまった表現がまだ残っているところでした。たとえば、北京に上京してきた女性が、仕事が見つからなくてつらいときに、露天商のおじさんから茹でたトウモロコシを半分買って泣きながら食べる、とか。映画の一番の盛り上がりシーンが“人情の発露”だったりするのも、懐かしく感じました。かいがいしく世話を焼いてくれた人にホロリとして恋に落ちる、みたいな展開もけっこう見かけるのですが、お互いストレートに優しくし合って次第に両想いになっていく感じが、心温まります。今の日本ではちょっと泥臭くて消えてしまった表現が、中国の映画ではまだ見られて元気をもらえるところが好きです。

中島 本当に人間らしいといいますか、韓国ドラマなどもそうですけど、思ったことをはっきり言うし、人間関係もとても濃密で、熱いですよね。人間同士のぶつかり合いを見て、羨ましく思うこともあります。
 日本人は、本当は言いたいことがあっても、衝突を避けるため、その言葉を飲み込んでしまうことがありますね。中国映画や中国ドラマには、日本の昭和のような雰囲気がまだ残っていると思います。

綿矢 人情が一番いい場面で使われるので、感動するんですよね。