「上野公園のハトのほうがいいものを食べている」
三宅さんの収入と支出の内訳を簡単に見てみよう。多摩地区の住宅地にあるオートロックマンションは家賃6万5000円。光熱費2万円、携帯代8000円、食費4万円がかかる。固定費だけで13万円弱だ。これにサークル、交遊、洋服、書籍、交通費などを含めると、月の生活費は20万円近くになる。第二種奨学金、月12万円をフルで借りていて、学費を引いた残りを生活費にあてている。
これまでさまざまな時給で仕事をしてきたが、授業とサークル以外のすべての時間を効率よく使って働いても、せいぜい月8万円にしかならない。全然、お金が足りない。大学2年の夏休み、水商売しかないと面接に行って誘導されるままピンサロ嬢になってしまった。現役大学生の一般的な、かつ典型的なパターンだといえる。
「夜をすれば生きていけるんじゃないかって。大学1年、2年の前期は支払いに追われて、本当にギリギリでした。生活費を削って、食費も限界まで削って、家賃とか光熱費の支払いにあてた。ご飯も上野公園のハトのほうがいいものを食べている、みたいな。学費は奨学金で払っていて、親からの給付はほとんどないです。ゼロに近くて、そういう子は同級生にもたくさんいます。みんな経済的に追いつめられています」
父親は50代前半、地方自治体の公務員だ。地方では中流以上の家庭である。バブル世代の父親は、現在の若者たちの深刻な貧困を知らない。進学で上京するとき、「俺も学生時代は苦労した。お前を甘やかさない」と釘くぎを刺して東京に送りだした。甘やかさないとは学費は奨学金、生活費は自分でアルバイトをして稼げ、ということだった。
「父親は娘の学費を出すのは甘やかすって感覚ですね。どうしてもお金が足りないときは、仕方なくお金を出してくれるみたいな。お金はいつもないけど、ないことはいいにくいし、いえません。上京してすぐにスーツ屋さん、雑貨屋、歯科助手みたいなこともやったかな。どこも時給は1000円とか1100円とか。それなりに忙しく働いて月8万円くらい稼いで、いつもギリギリで、ご飯は納豆と味噌汁だけみたいな。家賃、携帯代、Wi-Fi代もかかって、電気代がすごく高い。求人を見てガールズバーがぱっと目につきました」
53歳の父親はバブル世代だ。当時の大学生は恵まれていた。文系大学生は遊び、サークル活動とバイトに明け暮れ、ほとんど勉強しなくても卒業できて大企業から内定が出た。貧困家庭出身で経済的に苦労する学生は「苦学生」と呼ばれ、社会は頑張る学生を応援して、バイトと勉強を両立する意識の高い若者として美談となっていた。
当時の昭和型苦学生は新聞奨学生に代表される肉体労働で、親も社会も学生を応援する空気があった。三宅さんの父親は高校を卒業して上京、中堅大学に進学した。学生時代はお金がなく、授業はさぼりがち、飲食店や引っ越し手伝いなどのバイトに明け暮れた。なんとか卒業して、学生時代の苦労を美談としてたまに娘に語っている。
現在は、学生が従事する労働集約型のサービス業は末端の非正規労働者を最低賃金で働かせている。そのようなシステムができてから、学生は生活に必要なお金が労働集約型の非正規労働では稼げない。大学で勉強したい学生ほど、必然的に高単価の付加価値の高い非正規労働に流れることになり、女子大生は風俗嬢まみれになってしまった。
恵まれた親世代は、現在の大学生を取り巻く環境の変化をなにも知らない。三宅さんの父親が「娘は甘やかさない」という自分の世代の価値観を家庭に持ち込んだことで、娘はピンサロ嬢になってしまった。
文/中村淳彦 写真/shutterstock
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