橋本内閣が設置した閣議人事検討会議

そうした大河のような流れを、百数十年ぶりに変えようと試みたのが内閣人事局だが、そこに至る以前に制度改革に手を着けた時期があった。橋本龍太郎内閣の1997年、官房長官と三人の副長官からなる閣議人事検討会議を設け、そこで局長以上の幹部人事を審査した後、閣議で承認する方法が導入された。

この時期は、大蔵省不祥事が燎原の火の如く燃え広がり、過剰接待を受けて批判を浴びた幹部公務員が次々と槍玉に挙がった。閣議人事検討会議はそんな人物を事前に厳しくチェックし、ふるいにかけた上で閣議承認により内閣の任命責任をより明確化することに狙いがあった。

対象になったのは局長級以上の約200人で、幹部公務員人事に多少のメスを入れることにはなったが、根本的な改革にはほど遠かった。なぜなら、正副官房長官が参加する閣議人事検討会議に諮って正式決定するタテマエにはなっていたが、府省案がひっくり返ることはほとんどなく、原案を追認するだけの通過儀礼に過ぎなかったからだ。

この背景には、政治家から人事に手を突っ込まれることを極端に嫌う官僚特有の防衛本能が強く作用し、閣議人事検討会議という器はつくっても骨抜きになる状態が続いた。このマイナーチェンジから17年後の2014年、政治主導を前面に掲げる安倍晋三首相の強い意向により満を持して内閣人事局が設置され、閣議人事検討会議の骨格を法制化するとともに、対象人員を大幅に拡大して政治任用化への道へ突き進むことになる。

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触らぬ神に祟りなし

新たな制度では、各府省の人事評価をたたき台に、官房長官が適格性評価を行い、内閣人事局が幹部候補者名簿を作成する。これを受けて、各大臣は名簿をもとに事務次官や局長、審議官など幹部の人事案をつくる。この人事案を首相、官房長官、大臣の3者が協議して、最終的に幹部の昇進や異動を決定する。

三者が判定する幹部人事の範囲は、当初は局長級以上の約200人を対象としていたが、内閣人事局発足の直前になって審議官級以上の600人へ3倍に拡大した。人事権を官邸に集中することにより、自らの省益を優先する動きを抑え、縦割りの弊害を排除しながら政治主導の政策決定を進める点に主眼が置かれた。

ここまでは制度の説明だが、問題はこれをどう活用するか、運用面の課題が早くから指摘されていた。官僚から見て、その最大の懸念は幹部候補者の名簿づくりにあり、大臣の思惑を超えて官邸が登用したい人物を無理矢理入れたり、逆に評価しない人物を外したり、恣意に流れるのではないかという危惧があった。

「官邸の意向」―内閣人事局の発足と歩調を合わせるように、この言葉がしばしばマスコミに登場するようになる。人事権の最後のグリップを握る官邸(この場合は首相と官房長官)が強大な権限を持ち、彼らに逆らうと人事で報復されるかもしれないと、幹部公務員たちは身構えるようになったのだ。

その結果、反射的に官僚たちの口から出たのは、「忖度」という言葉である。「官邸の意向だから何を言っても仕方がない」と諦めの心境がはびこり、触らぬ神に祟たたりなしという風潮が、霞が関全体に蔓延していったのである。