大学で「ぼっち』とばかにされている

5月29日、地元紙「信濃毎日新聞」のインタビューに応じた父親の正道氏は政憲容疑者の半生について詳細を語っている。幼い頃は「ちょんこずく(調子に乗ってはしゃぐ、との意味の方言)なところがあった」とのことで、当時はひょうきんな性格で友だちともよく遊んでいたという。

事件後も政憲容疑者の両親と連絡を取り合っている親族も、幼い頃の政憲容疑者についてはこう語っていた。

「普通の子供という印象しかありません。私の子供とも会ったらよく遊んでいましたし、昔は毎年お年玉をあげていましたが、今みたいに人と喋れないということもなくちゃんと『ありがとうございます』とお礼を言う子でした。お父さんもお母さんも厳しく育てているというよりは政憲にとても優しく声をかけ、接している印象です。もちろん叱るときは叱っていたと思いますが、それでもあのふたりなら優しく諭している感じだとは思います」

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中学時代の政憲容疑者(撮影/集英社オンライン)

小、中学校では野球に打ち込んだ政憲容疑者。中学校の頃は成績もよく公立の進学校である須坂高校に進んだ。須坂高校では山岳部に所属。この頃から政憲容疑者はどんどん内向的になっていったという。

同地元紙でのインタビュー記事によると父の正道氏は、政憲容疑者が「高校3年間友達はいなかった」と振り返っている。高校時代から成績が低迷していたこともあり、長野市内の予備校に通いながら一浪し、東海大の情報通信系の学部に進学した。

大学入学後、神奈川県内の学生寮に入ったが馴染めず、東京の目黒のアパートで1人暮らしを始めた。ほどなくして、政憲容疑者が「ぼっち」という言葉を口にしだしたという。そこから明らかに政憲容疑者の様子はおかしくなっていった。

「大学で『ぼっち』とばかにされている」と正道氏に訴えたばかりか、住んでいたアパートについても「ここは盗聴されているから気をつけて」「部屋の隅に監視カメラがある」などと主張するようになった。両親はカメラがあるようには見えず「これは幻覚だよ」と告げると「何で俺のことを信じてくれないんだ」と反論した。
両親は政憲容疑者を実家に連れて帰り、結局大学は中退した。病院の受診も進めたが政憲容疑者は「俺は正常だ」と拒否したという。

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政憲容疑者の父、青木正道氏(中野市のHPより)

ちょうどその頃、政憲容疑者と会ったという親族はこう語った。

「人づき合いがうまくいかなくて大学を中退したと聞いていた。その頃、政憲本人とも会ったがとにかく口数が少なくてな。まったく話ができないというわけではないんだけど、家族以外と話をするときは極端に話さなくなる。家族と話すっていってもあいつが笑顔で話をしていたのは、北海道の駐屯地からたまに帰ってくる自衛隊の弟だけだったと思うしな。弟と話すときは楽しそうなんだよ。母親も父親も仕事で忙しかったし、農業やジェラート屋を手伝っているとはいえ一緒に遊べる友だちもいなかっただろうから、どこか孤独感があったのかもしれないな」