沖縄から日本をもっと元気に!
沖縄出身の岸本には、悲願の優勝を遂げた今だからこそ、実感したことがある。
「(沖縄の)県民性みたいなものでもあると思うんですけど、新しいものを受け入れることができなかったり、変化できずにいることが、沖縄の文化には少なからずあるのかなと思っていて。
でも、よいものをどんどん取り入れ、進化して、より大きいものを生み出していくことにも、すごく価値があると思います。それが、最終的には沖縄のためになると思っていますから。
優勝に値する選手たちが集まり、いろいろな変化の中で、今回の優勝を成し遂げたと思うので。『変化を恐れず、前進することが価値を生み出す』。それは薄々感じていたことではあったのですが、今日、確信に変わったと思います」
琉球の5代目キャプテンとして、長くチームを引っ張ってきた岸本は今もリーダーシップを発揮し続けているが、実はキャプテンの座は2019年に譲っている。
6代目キャプテンは、初代の吉田平以来となる県外出身の田代直希という選手だった。田代は大学卒業と同時に琉球に入った生え抜き選手であるが、出身はライバル・千葉の本拠地である千葉県船橋市だ。
ほかにも、昨季はコー・フリッピン、今季はジョシュ・ダンカンと、千葉で優勝を経験したメンバーも加入した。フリッピンはファイナルズでの21得点で日本生命ファイナル賞を手にしたし、ダンカンはセミファイナルでMVP級の活躍を見せた。
チームを率いるのは、ときおり響かせる関西弁のイントネーションがチャーミングな京都府出身の桶谷だ。
彼らだけではない。琉球は沖縄を大切にしながらも、県外からの人たちを温かく迎え入れてきた。そして、それがチームの成長につながった。もちろん、岸本のような沖縄の歴史と伝統を体現できる選手がしっかりと沖縄の地に根を下ろしているから、それが可能だったのは言うまでもない。
映画『THE FIRST SLUM DUNK』の大ヒットがあり、沖縄でバスケW杯が開かれ、Bリーグのオールスターも控える。そんな最高のタイミングで、琉球は頂点に登りつめた。
時代を変えるためには、不断の努力が必要だが、それだけでは足りない。汗と涙でまみれた努力という土台の上に、最高のタイミングを逃さない感性と知性が必要となる。
長年の努力が結晶となり、日本だけではなく世界の目が沖縄に向くタイミングで彼らはチャンピオンになった。
「沖縄をもっと元気に!」というスローガンを掲げる彼らは、「沖縄から日本をもっと元気に」してくれるのかもしれない。この優勝にはそう期待させるだけの価値があることを見落してはいけないだろう。
取材・文/ミムラユウスケ