内部被ばくに《線引き》はできない
そうは言っても、どこかで《線引き》する必要がある、との考え方もあるだろう。
この点については、地裁判決が「線引きをしない」解決方法を提示している。判決文は、雨を浴びた場所を確定した上で、3つの降雨域を「手がかり」に、「『黒い雨』に遭ったという供述等の内容が合理的であるかを吟味し」「判断するのが相当」と述べていたのだ。そして、地裁、高裁判決とも、3つの降雨域の外側で雨が降った可能性を否定していなかった。
これこそが、内部被ばくの実態に即した救済方法なのではないか。雨は、降雨図の図形通りに降ったのではない。また、雨が降り注いだ川や井戸水、畑の作物の全てが汚染されていたと考えるべきだ。内部被ばくに《線引き》はできない。
さらに付言すれば、これまでに作成された3つの降雨図の調査過程で、旧吉和村では聞き取り等が実施されていない。雨が降ったという河野さんの証言について、国は否定する根拠を持ち合わせていないのだ。
証言を退ける前に、国自らが調査をするべきではないだろうか? 高裁判決も、宇田雨域の公表以降に「国家的な取り組みとして、更なる調査が行われなかったことは、誠に惜しまれるところである」と指摘している。
とはいえ、河野さんが雨を浴びた地点が「雨域外」であることは事実だった。手帳を申請した後にも、不安はあった。それでも、地裁・高裁判決を踏まえた審査がなされれば……と願いつつ、手帳の申請後に「明日の命も分からん中で待っとるが、市から連絡が来ん」と電話をもらう度、「きっともらえますよ」と励ましてきた。
これは、真実を追い求める闘いだ
だが、現実はそうはならなかった。手帳を申請後、1年3カ月も待った末に届いた却下通知に、河野さんは愕然とするしかなかった。
「原爆『黒い雨』被害者を支援する会」の竹森雅泰弁護士は、河野さんに問いかけた。
「3つの降雨図自体が不確実で、『吉和(村)にも降ったよ』ということを訴えるためには、裁判で争うしかないですが、やりますか」
裁判になったら、いつ結論が出るか分からない。河野さんはこれまでに脳梗塞、前立腺がん、鼠径ヘルニア、白内障を患い、半身不随となったために現在は身体障害者1級だ。病院に通い、家の中でも杖をつく生活を送っている。
決着まで生きていられるだろうか――。不安がないわけではない。でも、その感情はぐっと抑えて、弁護士に答えた。
「実際に雨を浴びたんじゃけえ、わしは闘うよ。死ぬまであきらめん」
こうして、「第二次『黒い雨』訴訟」が提訴されることになった。河野さんは、旧吉和村で雨を浴びた弟とともに原告に加わり、4月末に提訴した。
「これまで長生きしたんだから……」「被ばくの影響はないだろう」。インターネット上では提訴に否定的なコメントがあふれる中、どうして河野さんは立ち上がるのか。
「ええ加減な線を引いて、雨が降った事実を否定することにひどお腹が立つ。わしの病気は、被ばくのせいなんだと認めさせたい」
これは、真実を追い求める闘いだ。原爆が、そして「黒い雨」による被ばくが人間に何をもたらしたか、明らかにするための闘いだ。
そして、分断は降雨域の問題にとどまらない。次回は、国が続けてきた黒い雨に対する「差別」について、報告する。
文/小山美砂
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