急成長する肥満症治療薬の市場
肥満症治療薬の開発は日進月歩だ。様々な臨床研究の成果が発表されている。昨年4月、英リバプール大学の医師たちは、セマグルチドの注射を止めると、5年以内にほぼ全員が元の体重に戻ってしまうと米『糖尿病・肥満・代謝』誌に発表している。セマグルチドによる中枢神経の摂食中枢の抑制は、可逆的であることがわかる。
成人だけでなく、小児の肥満症治療への適応拡大も進められている。昨年11月、ノボは、201人の12~18歳の小児を対象とした臨床研究を実施し、セマグルチド投与群では73%の患者が5%以上、体重が減少したと『ニューイングランド医学誌』に報告している。小児の肥満解消は、心血管疾患などの合併症予防だけでなく、メンタルへの好影響も期待できる。素晴らしいことだ。
肥満症治療薬の市場は、今後、急成長するだろう。英国の市場調査会社であるエバリュエート・ファーマ社は、2026年のセマグルチドの売上を39億ドルと予想している。2023年4月1日、日本経済新聞は、ノボの時価総額が47兆円と、製薬企業の中で世界トップに立ったことを報じている。
急成長市場には、複数の企業が参入する。注目すべきは、米イーライ・リリーだ。同社は、GLP-1受容体に加え、グルコース依存性インスリン分泌刺激ポリペプチド(GIP)という別のインクレチンを同時に活性化する「チルゼパチド」という薬剤の開発を進めている。複数の経路を同時に刺激するのだから、より高い効果が期待できるかもしれない。昨年6月、『ニューイングランド医学誌』に報告された第3相臨床試験の結果によると、23%も体重が減ったという。
医薬品関連のメディアをフォローしていると、連日のように肥満症治療薬の開発ニュースを見る。例えば、「Viking社の肥満薬VK2735のPh1試験で体重が8%も低下~今年中頃Ph2開始」(2023年3月29日、バイオトゥデイ)、「Altimmune社の肥満薬pemvidutideのPh2試験での脱落率がめっぽう高い」(2023年3月29日、同)という感じだ。今後、肥満症治療薬の開発はさらに加速するだろう。
飲み薬の毎月のお値段は…
問題は日本だ。ダイエット目的に、GLP-1受容体作動薬を使うことには、医療界の抵抗が大きい。実は、ダイエット目的でのGLP-1受容体作動薬のオンライン処方が一部で始まっているのだが、こうした現状について、昨年3月、今村聡・日本医師会副会長(当時)は「医の倫理に反する」と批判した。
GLP-1受容体作動薬は、すでに世界で20年近い使用経験があり、その安全性については、一定のコンセンサスが確立している。オンライン処方でも問題ないと考える医師がいてもおかしくない。ところが、肥満を病気として扱い、薬物で治療することについては、我が国の医師の間で、いまだコンセンサスは形成されていない。
ただ、ダイエット目的での使用の有効性についても懸念がある。ノボなどが実施してきた臨床試験は、BMIが27以上の肥満患者を対象としているからだ。身長160センチの場合なら、体重は69.1キロ。ダイエットを希望する日本人の大半が当てはまらない。安全性はともかくとして、このような軽度の肥満症に対するGLP-1受容体作動薬の有効性は不明で、今後の臨床試験の結果を待つしかない。
では、どうすればいいのか。肥満症の診断基準を満たす患者には、ほどなく、健康保険で処方が可能になるだろう。問題は、そうでない場合だ。当面は、かかりつけ医と相談し、ケースバイケースで対応するしかない。幸い、自費診療の選択肢もある。
セマグルチドの注射剤である「オゼンピック」は週に1回0.5mgの注射が必要だが、その薬価は一回あたり3094円だ。また、セマグルチドの経口剤も「リベルサス」という名前で実用化されている。こちらは1日1回の服用で維持量の7mg錠の薬価は334円である。いずれも月の薬剤費は約1万円だ。実際には、これに診察や処方の費用が加わるが、厳密な臨床試験でその効果が証明されていることを考えれば、自己負担してもいいと考える人は多いのではないか。
私の経験では、肥満に悩む患者に、この選択肢を告げると、二人に一人は自費診療を選択する。そして、多くが10%程度の減量に成功する。身長155センチ、体重64キロ(BMI26.6)の30代の女性に処方した際には、3か月で体重が58キロに減り、「人生が変わりました。スーツを作り直しました」と言われた。6キロは、一升瓶3本に相当する。これだけのものを体から外すのだから、体の感覚は一変するだろう。
薬を継続する限り、多くの患者でリバウンドは生じない。運動療法や食事療法が続かないのとは、対照的だ。ただし、体形を維持したいのであれば、基礎代謝を上げないかぎり生涯、服用を続けなければならない。
肥満で悩んだら、すぐに医師に相談して薬を服用する――そんな未来が近くやってくるのかもしれない。
文/上昌広 写真/shutterstock