「勝者は学習せず、敗者は学習する」

「勝者は学習せず、敗者は学習する」太平洋戦争の敗戦を決定づけた“日本人特有の戦い方”_2
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しかし意外なことだが、下級将校として日露戦争を体験した陸軍の長老のなかには、緒戦の勝利を見ながら将来を懸念する人がかなりいたという。陸軍の武器体系は基本的に日露戦争当時のままで、どうにも心もとない。各級指揮官の能力についても、数年にわたり大陸戦線で中国相手の非正規な作戦を続けてきたためか、低下の一途をたどっているように思われる。

日露戦争当時の動員率(全人口に対する徴集率)は2パーセント程度だったが、この動員率があがれば当然、兵員の質は低下する。それらに対する施策が見当たらないと指摘されていた。

ところがこれまた日本軍の特色の一つだが、どんな大物の実力者でも現役を去れば「ただの人」になり、ほとんど発言力がなくなる。後輩になにを言っても聞き流されるばかりか、現役将官から面と向かって「近代的作戦用兵を知らない人は黙っていてください」と言われるのも珍しくない世界だった(小磯国昭『葛山鴻爪』中央公論事業出版、1963年)。

日本は緒戦の勝利に眩惑陶酔し、それがなぜもたらされたのかを分析することを怠った。まさに「勝者は学習せず、敗者は学習する」との警句通りとなった。西部太平洋からインド洋の東部までを迅速に席巻した日本海軍の勝因は、ハードとソフト両面での奇襲によるものだった。正規空母のすべてを投入した機動部隊の運用法、零戦に代表される航空機の優勢、そして練達した搭乗員の技量、このセットで押しまくった結果の勝利だ。

そんな奇襲の心理的な効果が薄れ、敗者の敵が機動部隊の運用法を学んだらどうなるのか。こちらは航空機の搭乗員や整備員の補充が遅れているのに対して、敵は自動車に慣れた青年が多いから、すぐにも搭乗員や整備員を育成できる。航空機に関する技術も欧米のほうが進んでいる。

陸軍の勝因はごく簡単なことで、相手が弱すぎたということにつきる。フィリピンには米兵とフィリピン兵が半分ずつの割合で、合計4万2000人のいわゆる米比軍が展開していた。これはコンスタビュラリー、すなわち警備隊・警察軍の一種といったもので、昭和19(1944)年に予定されていたフィリピン独立までのつなぎの武力集団であって、正規軍ではない。インドネシアには、一部がオランダ本国兵からなる7万人の軍隊があったが、これもあくまで軽装備な植民地の警備軍だ。