3年半越しの苦い再発経験が抑止力に
グレイス・ロード設立以前に、山梨ダルクがギャンブル依存症の受け入れを開始した当時に入所したという服部善光さんは、現在では東京グレイス・ロードのセンター長を務めている。
東京グレイス・ロードでも、治療プログラムは山梨と同じように行われている。山梨と同様に、ゴミ拾いや清掃などのボランティア活動も実施しており、運動会や餅つきなどのイベントに町内会から誘われることがあるなど、東京だからといって地域との関係性が希薄ではないという。
初めてのパチンコ体験が14歳の時と、早熟なギャンブラーだった服部さんは、ギャンブル資金のために窃盗を働いて刑務所に入った経験が2度あり、依存症にどっぷりの半生を歩んできた。
依存症を発症していた頃は、生活保護の受給を開始するも、生活保護費を全額ギャンブルにつぎ込んでいた時期もあれば、お金が尽きてドヤ街でホームレスとして生活し、街頭アンケートに答えて得た謝礼の品を換金してギャンブル資金を作るなど、あの手この手でギャンブルをしていた時期もあったという。
しかし、今ではそんな体験もこの仕事での服部さんの特権になっていると捉えている。
「私は、刑務所に2回服役しているし、妻子がいたのに離婚したし、生活保護を受給していたこともあるし、ホームレスをやっていた時期もあります。端から見たら散々な人だと思われても仕方ないですけど、そんな私も依存症から回復して8年間、現在も回復状態を続けられています。だから、似たような境遇の人が入所してきたら、『こんな俺でもなんとかなったんだから、やってみようよ!』と声をかけることができます」(服部さん)
依存症で散々辛い目を見てきた服部さんだが、長らく親しんだパチンコ、スロットには楽しかった思い出もあり、今でも入所者とかつてのパチンコ台の話題で盛り上がることがあるという。
もしも健康的に遊べるのであれば、またパチンコを打ちたい気持ちはあるものの、健康的な範囲で収められる自信がまったくないため、もうギャンブルに手を出すことはない。もしもギャンブルに手を出せば、8年前の自分に戻ってしまうことを体験として知っているためだ。
「グレイス・ロードに入所する以前に、別の回復施設に入所し、3年半ほどギャンブルをやめられていた時期がありました。でも、ある時に身の回りの問題が重なり、どうでもいい気持ちになってパチンコを打ってしまったら、一瞬で入所前の自分に戻っていました。あの時の転げ落ちるような感覚は今でも覚えています。
その時の経験がギャンブルをやらないためのブレーキになっているし、この仕事で依存症の仲間達と常に顔を合わせていられることも、私がギャンブルをしないためのストッパーになっていると思います」(服部さん)
服部さんは現在でも、週に5~6回程度自助グループに参加して、再発予防に努めている。