一歩踏み出さないとどこがゴールかわからない
福岡 今、坂本さんが「一直線に進んで来たわけじゃない」とおっしゃったことで、今西錦司のことを思い出しました。彼は著名な生物学者であるとともに山がとても好きで、生涯に1500以上の山を登ってきた人なんですね。
「なぜ山に登るのか」という問いに対する答えでは、エベレスト初登頂を目指したイギリスの登山家ジョージ・マロリーの「そこに山があるからだ」が有名です。一方、今西錦司の答えは、なかなかふるっています。「山に登るとその頂上からしか見えない景色があって、そこに、次の山が見える。だからまたその山に登りたくなるということを繰り返しながら、自分は直線的ではなくてジグザグに進んできた」と、彼は言ったんですね。
坂本 山の上をジグザグに、ですか。今西先生がそのようなことをおっしゃっていたんですね。
福岡 そうなんです。この今西錦司の言葉で大事なところは、そこに行ってみないと見えない風景がある、ということですよね。音楽の探求者としての坂本さんと生命の探求者としての私も、やはりいろいろなプロセスを経ながらその場所に行って初めてわかったことがあると思います。
坂本 そうですね。実は『async』というアルバムを作っていたとき、8ヵ月ほどの製作期間の中盤から後半ぐらいは、まるで山登りをしているようだなぁ、と思っていたんです。曲作りをしていて、作り出してみないとどこが山頂かわからないという感覚がありました。
言ってみれば、地図のない登山をしているような感じで、登ってみないとその山がどのぐらいの高さで、どのような経路があって、どういう景色が見えるのか、そしてどこがゴールか一歩踏み出さないとわからない。それがある日、「あっ、これがゴールだ」と実感した瞬間があって、今まで見えていなかった次の山が見えたんですね。「ここで終わりじゃないんだ、次はあそこに行かなければいけないんだ」と思いました。
福岡 ああ、なるほど。そこに来て初めて見えたということですね。
坂本 そのとき、登ってみないと向こうは見えないのだということを、とても強く実感しました。
福岡 今西錦司はダーウィンの進化論を批判したのですが、そのことで大変な論争を巻き起こしました。しかし私は、今西錦司は非常に優れた生物学者だったと思っています。
彼が発した言葉の一つひとつを振り返ってみると、今の進化論的な言葉やロジック、あるいは進化論のロゴスというものでは回収できないビジョンを見ようとした人であったということが伝わってきます。ロゴスとは、言語、論理、アルゴリズムなど人間の脳が作り出した世界のイデアのことであり、これに対するのがピュシス、つまり自然です。
「進化というものは、変わるべくして変わるのだ」という今西の進化理論は、ロゴス的には漠然としていて見えないものであるため、現在の科学では否定的に捉えられていますが、これは今回の対談の一つのテーマになってくると思っています。