#1 「死んでもいい覚悟なんていらねぇ」“デスマッチのカリスマ”葛西純が闘い続ける信念
#3 なぜ48歳のプロレスラー・葛西純の試合は人の心を熱くさせるのか?
「どうせ死ぬんだったらやりたいことをやって死のう」
デスマッチという「死」を連想させる闘いに挑む葛西は「生きて帰ることがデスマッチ」との信念を持ってリングに上がっている。ただ、この哲学に辿り着くまでの道のりには、紆余曲折、波乱万丈があった。
北海道帯広市で生まれ育った葛西は、小学生の時に地元にやってきた全日本プロレスの試合でブルーザー・ブロディを見た時にプロレスラーになりたいと志した。中学、高校ではプロレスラーになるために柔道部で体を鍛えたが、173センチという小柄な体格から夢はあきらめ、高校卒業後に上京して警備会社に就職した。
転機は雑誌で見た「性病特集」だった。その特集には「HIV感染」の可能性がある項目が掲載されていた。試しにチェックすると、風俗で遊んでいた葛西は、そのすべてが当てはまり、HIV感染を覚悟したという。すぐに病院へ駆け込み検査すると結果は陰性だったが、その時に「死」を意識した。
「一瞬でも“死”というものを意識した時に『どうせ死ぬんだったらやりたいことをやって死のう』と決意したんです」
後悔しない人生とは、葛西にとって子どもの頃に抱いた「プロレスラー」になることだった。そして、23歳の1998年に大日本プロレスへ入門し同年8月23日にデビューする。初陣から2年目に先輩レスラーとのタッグでデスマッチを初めて経験。危険な凶器攻撃を真っ向から受け止める果敢なファイトスタイルがファンに支持され、大日本の中で一気に注目される若手レスラーとなる。
「ただ、その頃は、どれだけ危険なことをやって、どれだけ客を驚かせて、ドン引きさせてやるかってことしか考えていませんでした。俺っちのデスマッチで会場が沸けば、それでいいやぐらいにしか考えてなかったですね」
プロレスラーの価値は、どれだけ観客を呼ぶか――この一点に尽きる。鍛え上げられた肉体を駆使し会場を熱狂させ、満足させ家路につかせ、そして、さらに多くの観客を再び会場へ来場させることができるレスラーだけがトップに君臨できる。