衣食住もままならない中での「人間らしさ」とは
――「現代の少し前の時代である昭和」を舞台に物語を書くことには、どんなご苦労がありましたか。
私自身が昭和四十年代生まれなので割と昭和の感覚は身になじんでいる方ですが、登場人物の立ち居振る舞いや言葉遣いなどは、昭和二、三十年代に書かれた小説や映画を参考にしました。九段下の昭和館でアーカイブのニュース映像を見に通ったり。
日活の大衆映画は当時の若者の美意識が如実に出ていると思うので見てよかった。遼子(ライバル会社の社長令嬢)は「嵐を呼ぶ男」の北原三枝さんに影響を受けていますね。
登場人物たちは今とは異なる「時代の価値観」で生きてますから、ジェンダーや倫理観などにおいて読み手が違和感を覚えるところもあるだろう、あって当たり前のものとして、あえて忖度はしない。とはいえ、読むのは現代の人たち、というところで表現の匙加減にはこだわりました。
地味に苦労したのは「今のひとたちがよく知るものでもこの時代は微妙にちがう」というところで、当時はまだない製品や言い回しなどの言い換えにも気を遣いました。
引揚港博多にも行きました。港から駅までの道のりを、赤城と群青それぞれになりきって歩いたのは思い出深いです。
――主人公の群青と赤城が打ち込む仕事を「石鹸製造」にしたのはなぜですか。
やはり終戦直後という時代背景からではないかと。群青自身も引揚者で、戦災孤児や復員兵が出てきますが、食べるので精一杯だった時代、彼らにとって清潔になるというのは人間らしさを取り戻すということでもあり、それを起業のきっかけとするのは自然だし、その過程も踏まえてテーマにふさわしいと思いました。