変わらないようですべてが少しずつ違う団地の中を一人歩く

いつまでもサンマルシェを懐かしがっていても仕方がないので、住んでいた団地に向かって歩を進めた。

岩成台団地エリアに入ると、大袈裟ではなく、少し涙が出そうになった。
当時の僕は小学校低学年だったから、岩成台団地は無限に広い世界だと思っていたが、53歳のいま散策してみると、端から端まで歩いて15分とかからない、小さな箱庭のようだ。

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岩成台団地の入り口

大好きだった公園の中を歩く。

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大好きだった公園

巨大だと思っていたコンクリート製の滑り台は、いま見てもなかなか立派だったが、残念なことに周囲をフェンスで囲われて使用禁止になっていた。
コンクリートがかなり劣化しているようだ。
この滑り台、時間を忘れて無限に滑っていたんだけどな。

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使用禁止になっていた大きな滑り台

どうも小さな頃の思い出は、すべて「無限」だった気がする。

時間の流れというのは主観的で相対的であるため、現在と比べて子供時代の時間の進み方が、相当にゆっくりと感じられるということはよく知られている。
だから記憶している遊びの数々は無限に繰り返したように思えるし、この土地で過ごした小学校1年から4年までの記憶も、永遠に近いような気がするのだろう。

いい枝ぶりだったため、よく登って遊んだ木がまだあった。
当時よりかなり大きくなってはいたけど、いい枝ぶりに変わりはない。
引っ越す前、何か記念を残したくて、この木に登って幹にシャーペンの先で自分の名前を小さく彫った。

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懐かしの木は大きくなっていた

それを確かめることなどできないが、木は僕のことを覚えている気がしたので、「あのときはゴメン」と心の中で謝った。

両親と3歳上の兄と一緒に住んでいた部屋がある棟の前に来ると、気持ちがさらに高揚して動悸が早まった。
今はともに80代で介護施設暮らしをしている両親は、あの頃、今の僕より10歳以上も若い30〜40代だったのだ。

父は棟の前の小さな公園でよくキャッチボールをしてくれた。
母は近くのスーパー、ピーコックに一緒に行ったあと、20円のガチャガチャをいつもやらせてくれた。
兄は自転車の後ろに僕を乗せ、僕にとっては異世界である隣の藤山台団地まで遠征してくれた。

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正面に、家族と暮らしていた16号棟とキャッチボールをした公園が見えた

と、記憶を蘇らせていたんだけど、そういえば公園の中に、当時の僕のような子供の姿をほとんど見かけないことに気づいた。
雨上がりで足元がぬかるんでいるからかな?と思ったが、考えてみれば当時は、雨が降ろうと槍が降ろうと、公園内には無数のガキンチョがいたものだ。

少子化なのだ。
どうせ子供が少ないから、あの大型滑り台も修理されないのかもしれないと思うと、なんだか侘しい。

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誰もいない公園があちこちに

高蔵寺ニュータウンは、高度経済成長期にどんどん建てられた、全国の大型団地の多くと同様、入居者の高齢化と空洞化が進んでいるそうだ。
ニュータウン全体の入居者は、1995年の52,000人をピークに減少が続き、現在は40,000人ちょいとなっている。

岩成台団地内を歩いていてすれ違うのは、子供ではなく高齢者ばかりだ。
かつてピーコックが入っていた場所は、空き店舗になっていた。

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かつてピーコックがあった場所はテナント募集中

団地内の小さな商店街は軒並みシャッターが降ろされ、床屋と鍼灸院しか営業していない。
ガチャガチャもなければ、コロコロコミックを売っている店もない。
たった1時間前にやって来たよそ者に何がわかるのかと思われるかもしれないが、40数年ぶりに来たからこそ、社会の歪みの一端を垣間見た気がした。

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団地内の小さな商店街はシャッター店舗だらけ

最後にどうしても確かめなければならなかった
公園の隅の排水口。もしもあの中に……

少子化の波で地方都市の小中学校の多くが閉校しているので少し心配だったのだが、かつて通っていた岩成台小学校はまだちゃんとあったので、ほっとした。

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懐かしい岩成台小学校

小学校のすぐ近くには、愛知用水という大きな用水路が流れている。
恐らく今の小学生もきつく戒められているだろうが、ここは子供時代の僕にとって、決して遊んではいけない“魔の川”だった。

V字形に掘られた深い用水路のため、誤って落ちると上がってこられなくなると脅かされていたのだ。
水面はいつも暗く恐ろしげで、橋を渡るときもなるべく用水側から離れたところを、駆け足で通過していた。

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愛知用水

ところが今の愛知用水は、少し様子が違っていた。
用水横にフェンスはあるものの、脇には散策路が整備されていて、住人がのんびり散歩しているのだ。
昔は用水には絶対に近づけないよう、あちこちが有刺鉄線でガッチリ固められていたのに。
きっと、制御できないほど大量のガキンチョがワサワサと暮らしていて、少し脅かさなければ事故が心配だった70年代と、穏やかに暮らす高齢者が多数を占める現代とでは異なるのだ。

岩成台小学校と愛知用水の間には、細長い形をした公園がある。
最後にどうしても確かめなければならないことがあるのを思い出し、僕はその公園に向かった。
目指すのは、公園の片隅にある排水口である。

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確かめなければならないものがある公園