好きなことでワクワクしながら、世の中に求められるのが仕事
――そのマインドが現在の多様な活動に繋がっているのですね。では、大学以降のお話をお聞きしてもよろしいでしょうか。
大学と大学院は、地元の山梨学院大学に通いました。親父が亡くなってから経済的に厳しかったので、昼間は実家の農作業を手伝いながら、授業料を自分で捻出して。
その後、山梨学院大学の職員採用試験を受けて就職。五次面接くらいまである難関だったんですけど、喋りが得意だから「筆記試験さえ通ればこっちのもんだ」と思っていたら、案の定、面接は楽勝でしたね(笑)。
――大学職員をされていたのは意外な一面です。
でも2年ほどで辞めちゃいました。「頑張っていようがサボっていようが同じ給料」というサラリーマンの仕組みだと、マインドもモチベーションも上がらなくて…、おまけに創造性も感じられないから、ワクワクしなかった。
その後に自営業を始めるんですけど、大学職員の経験があったから、「ただ金儲けをすればいい」のではなくて、「自分で仕組みを生み出して、ありがとうの代わりにお金を頂く」というのが、僕の中での“職に就く”ということだと気が付いた。
あとは、ワクワクしないとやりたくない。自分が好きで得意で、なおかつ世の中の人に求められていること。そういう思考で、まず日焼けサロンの店舗経営を始めました。
――なぜ日焼けサロンだったのでしょうか?
まず、サッカー少年だった頃の“一年中真っ黒に焼けている自分”というアイデンティティに親しみがあったから。サッカーをやめた大学時代から、日サロには通い始めていて。
次に日サロの経営は、機械が接客するようなもんだから、人件費と固定費が抑えられて、利益率が安定している、という点。大学で経営学を学んだからこそ、その利点には注目していましたね。
三つ目がキーポイントで、当時の日サロって、薄暗い雑居ビルの中にあって、音楽がガンガン流れて、ギャルがだるそうにタバコを吸って、タオルが積まれて…俗に言う風俗店みたいな、少し入りにくいイメージだった。
だからこそ、その真逆のイメージのお店を始めればいいんじゃないか、と閃いたんです。
僕のお店はここからすぐ近くにあるんですけど、路面店ですぐに入店できて、24時間営業で、基本は無人営業。
お店の入り口を顔認証にして、500円玉を入れて、自分で焼いて、自分で掃除して帰る、という徹底的に効率化したシステム。今でこそ同じシステムの日サロも増えましたけど、20年以上前の当時はかなり画期的だったと思います。