信念をもった女優という新しいアイコン

興行ランキングトップ10には入っていないものの、『トゥームレイダー』(2001)はいくつかの点においてエポックメイキングな作品だ。

A級スター入りしたアンジェリーナ・ジョリーが指し示した新たな方向。21世紀が始まり、変わらず元気なハリウッド映画界で、さまざまに多様化していくスターの生き方_2
特集でも『トゥームレイダー』を大フィーチャー
©ロードショー2001年10月号
すべての画像を見る

本作が公開されるまで、女性が主人公のアクション大作が製作されることはまれだった。アクション映画を見るのは男性観客が大半だとか、男性観客は男性のヒーローに共感するのに対し、女性観客もまた男性のヒーローに憧れを抱くものだという通説がまかり通っていたためで、人気ゲームの映画化とはいえ、『トゥームレイダー』はかなりリスクのある作品だった。作品としての質はイマイチだが、それなりの商業的成功を収めなければ、『ハンガー・ゲーム』(2012~)シリーズや『ワンダーウーマン』(2017~)シリーズは誕生しなかっただろう。

ふたつめは新鋭アンジェリーナ・ジョリーの起用だ。『ジア 裸のスーパーモデル』(1998)の演技が話題となり、『ボーン・コレクター』(1999)『17歳のカルテ』(1999)『60セカンズ』(2000)などで注目を集めていったが、そもそもは俳優ジョン・ヴォイトを父に持つ不良娘。2000~2003年に結婚していた2番目の夫ビリー・ボブ・ソーントンとは互いの血液を身につけるなどの奇行も報じられていた。当時はまだキャサリン・ゼタ=ジョンズやアシュレー・ジャドなどのほうが大物で、アンジーの主演抜擢は、製作会社にとってはリスキーな選択だった。

3つめは、『トゥームレイダー』の撮影でカンボジアを訪れたことがきっかけで、アンジェリーナ・ジョリーが人道問題に興味を持つようになったことだ。2001年にはUNHCRの親善大使に任命され、以来、難民支援や慈善活動を行っている。先に挙げたベン・アフレックやジョシュ・ハートネットと異なり、名声に振り回されることなく、むしろそれをボランティア活動に繋げている点もユニークだ。
また、2002年にはそのカンボジアから男児を養子に迎え、以後、実子含めて6人の子供を育てる大家族ママとなっていく。

本作をきっかけに、アンジェリーナ・ジョリーは美貌や演技力のみならず、信念をもった女優として絶大な支持を集めていくことになるのだ。その生き方は、後日恋におちるブラッド・ピットにも大きな影響を与えていくことになるのだが…それはまた別のお話。

◆表紙リスト◆
1月号/レオナルド・ディカプリオ 2月号/ナタリー・ポートマン 3月号/アンジェリーナ・ジョリー※初登場 4月号/キアヌ・リーヴス 5月号/キャメロン・ディアス 6月号/ブラッド・ピット&ジュリア・ロバーツ 7月号/トム・クルーズ 8月号/シャーリーズ・セロン 9月号/ベン・アフレック※初登場 10月号/アンジェリーナ・ジョリー 11月号/キアヌ・リーヴス 12月号/ジョニー・デップ
表紙クレジット ©ロードショー2001年/集英社