当初、ジェフ市原監督候補はぺリマンだった

木村 それが最初のご縁だったんですね。

祖母井 はい。私は74年に、W杯でオランダの試合を2試合見ました。それで、オランダのサッカーに魅了されたんです。翌年の75年から、ドイツのケルン体育大学に留学をしたんですけれど、サッカーに関しては隣のオランダのアヤックスにすごく興味が出て、アムステルダムにしょっちゅう行っていたんです。

そのときアヤックスの監督は、74年のオランダ代表監督だったリヌス・ミケルスさんでしたが、それ以前にはルーマニアのコバッチさんという方が監督をしていて、ミケルスさんの後はイビッチさんというクロアチアの方だったんです。オランダとバルカン半島はずいぶんサッカーで交流があったようなんです。

木村 オランダのサッカー協会とユーゴのサッカー協会は、非常に仲が良くて、指導者交流をよくやっていたんだという話をミリヤン・ミラニッチ(故人元ユーゴサッカー協会会長)さんから聞いたことがあります。

元GMが明かす「オシム日本招聘の真実」。才能あふれる旧ユーゴのサッカーとは?〈祖母井秀隆×木村元彦〉_3
木村元彦氏。ベストセラー『オシムの言葉』の著者。「旧ユーゴサッカー戦記」シリーズの決定版ともいえる新刊「コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う」が発売中

祖母井 それで私もユーゴとルーマニアに非常に興味を持って、そこにトータル・フットボールの原点があるんじゃないかと思っていたのです。その後、ジェフにGMで入ったときには、ルーマニア人やユーゴ人の選手を積極的に取りました。

木村 ジェフでジョゼフ・ベングロッシュ監督との契約が終了したときに、ちょうどオシムさんはシュトルム・グラーツの監督を退任されていたんですね。

祖母井 オシムさんとは、90年の合宿以降はお会いしてなかったんですけど、ユーゴ系のいろんな方々から情報を随時もらっていたんです。シュトゥルム・グラーツは凄いよ、と。チャンピオンズリーグでもマンチェスター・ユナイテッドと戦ってグループリーグを1位突破していた。オシムさんがジェフに来てくれたら、日本サッカーも絶対変わるだろうなって。

そうしたら、ウイーンのエージェントから、オシムさんがフリーになっているというファックスが流れて来た。ところが、その時、実はすでにイギリス人のペリマンに監督を要請していて決まりかけていたんです。残念ですねと岡健太郎社長と話していたら、ペリマンは家庭の事情で来日できなくなった。そこでオシムさんに向かったわけです。ベルデニックさんに連絡先を聞き出して、直に電話をしたんです。

元GMが明かす「オシム日本招聘の真実」。才能あふれる旧ユーゴのサッカーとは?〈祖母井秀隆×木村元彦〉_4